平安時代初期十一面観音像について―薬師寺像と与楽寺像を中心に―それらは所蔵機関 によって管理のカテゴリが一定しない非常にあいまいな存在であることもあり、研究者がアクセスし辛く、存在それ自体を認識することすら困難であることも少なくない。本研究を通じて、日本の近現代美術研究が調査すべき対象が必ずしも現在の日本の美術館の制度において「作品」とみなされているものだけではないという事実を改めて明らかにしたい。そして、この美術史研究を阻む制度上の問題をアーカイブズ学的な観点から批判的に逆照射することで、日本近現代美術研究の基盤整備に向けた提言にも結び付けたいと考える。研究者:大阪大学大学院文学研究科博士後期課程、龍谷大学龍谷ミュージアムリサーチアシスタント奈良時代後期から平安時代初期にかけての彫刻には、制作年代の明らかな基準作例に恵まれていないという問題がある。筆者は、これまでに8~9世紀菩薩形像の髪型の形式分類を通して、客観的な制作年代の指標を提示するとともに、そこから読み取れる平安時代初期彫刻の特質をあきらかにすることに努めてきた。奈良・薬師寺十一面観音像については、中心に論じた論考はなく、他の十一面観音像の比較作例として挙げられるほか、作品解説において様式・形式等の言及がされるにとどまっている。詳細な検証とあわせて制作年代のあらたな手がかりとして頭上面の頭飾に注目する。薬師寺像は、現状、損傷がはげしいものの、頭上には8面が確認できる。頭上面は、上段1面と下段2面からなる3面を1単位として配置するというめずらしい配列法をとる。この配列法が、膝下の衣文構成などもあわせて奈良・与楽寺十一面観音像と共通することから、薬師寺像は将来檀像を拡大した像である可能性が指摘されている。小さな檀像彫刻と等身大の木彫像との間における影響関係を推量することができる最適な作例であるといえる。そのため、与楽寺像の制作が中国・唐代であるのか我が国の奈良時代であるのかは大きな問題となり、薬師寺像とあわせて検討を要する。与楽寺像の帽子のつばのように張り出す宝冠は類例がなく、薬師寺像の頭上面も頭飾に2種類の意匠(花弁型・翼状)を使用するというめずらしい形式をしめす。管見の限り、頭飾に複数の意匠を用いる作例は日本国内にはなく、中国・河南博物院十一―59―丹村祥子
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