第二次世界大戦下におけるピエール・マティス画廊の役割―ヨーロッパとアメリカの美術交流を中心に―面観音像(大海寺址出土、唐・9世紀)を類例として挙げることができる。筆者は、薬師寺像の頭飾意匠の使い分けは、菩薩相と瞋怒相の使い分けを意味すると想像する。つまり、牙上出面であることが確認できる右側の頭上面が瞋怒相であると考えられる。牙上出面を瞋怒相とする作例は奈良・法華寺十一面観音像(9世紀)など平安時代に一般化するのである。なお経典においては、頭上面に花冠(あるいは頭冠)と化仏をつけることを記すのみで、その意匠については規定されていない。薬師寺像の特徴的な翼状頭飾がいかにして採用されたのか、類例を探し、形式変遷をおうことが薬師寺像の制作年代を考える一助となるだろう。また薬師寺像の頂上仏面には、首より上を失った上半身が残る。これは、今日知られている4種の十一面観音経典のうち、玄奘訳『十一面神呪心経』の「頂上一面作仏面像」との関係が指摘されている。半身頂上仏をともなう十一面観音像の作例は、大阪・道明寺像(8世紀末)や法華寺像などの平安時代初期に一般化する。像高40㎝程度の半身頂上仏を伴う十一面観音檀像(代用檀像も含む)が悔過の本尊として造立された可能性が指摘されており、等身の薬師寺像が頂上仏面を伴うことの意味について考察することは、奈良時代~平安時代初期の十一面観音信仰のひとつの側面をあきらかにすることにつながると考える。研究者:東京国立近代美術館研究員意義・価値1940年代初頭、ヨーロッパからアメリカ(主にニューヨーク)に多くの芸術家が亡命を果たしたことはよく知られている。その中には当時、前衛芸術の最先端とされていたシュルレアリスムと深い関わりを持つメンバーが含まれていた。すなわち、アンドレ・ブルトン、マックス・エルンスト、アンドレ・マッソン、イヴ・タンギーらである。亡命後の彼らの活動を支えたのは、ニューヨークの57丁目に画廊を構えていた画商たちである。ピエール・マティス画廊や、ヴァレンタイン画廊、ジュリアン・レヴィ画廊、ペギー・グッゲンハイムの今世紀の芸術画廊は、亡命芸術家を積極的に取り上げ、アメリカ国内に最先端のヨーロッパ美術を伝える窓口として機能していた。―60―長名大地
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