鹿島美術研究 年報第35号
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ニコラ・プッサンの風景画研究―1650年前後の作品と「隠遁」のトポス―研究者:慶應義塾大学大学院文学研究科後期博士課程本研究は、ニコラ・プッサン(1594-1665)が画業の後半において風景画を熱心に制作するようになった動機、およびその制作原理の一端を詳らかにすることを目的とする。風景画の歴史において、16世紀の末から主題の性格を効果的に演出する景観を伴った歴史的風景画、理想的風景画の探求が始まり、プッサンとクロード・ロランはその成立に寄与した画家として位置付けられる。しかしながら、従来の研究がプッサンの歴史画における関心や構想のプロセスを明らかにしてきたのに比べ、風景画特有の制作意図や解釈の手掛かりについて論じた研究は豊富とは言い難い。しかし、2008年にメトロポリタン美術館で開催された「プッサンと自然」展、2011年にグラン・パレで開催された「自然と理想」展と、プッサンとその周辺の画家の風景画に焦点を当てた大規模な展覧会が今世紀になって開催され、それに伴ってプッサンの風景画の価値が再認識されると同時に、新たな観点からの考察も促されている。本研究は、プッサンの風景画研究の再考と進展が望まれているこうした状況に寄与しようと努めるものである。文学作品やヴィッラの流行が象徴するように、当時、理性的な思考と平静な精神を保つため、都市を離れ自然の中で瞑想的な生活を送ることが推奨されていた。こうした同時代の「隠遁」の意識にとりわけ注目することは、以下の理由からプッサンの風景画論にとって意義のあるものであると考える。第一に、「隠遁」への関心は、風景画という絵画ジャンルそれ自体の受容と密接に関わる。プッサンと顧客たちが生きたローマとフランスにおいて、風景画への関心は未だ高かったとはいえず、アンドレ・フェリビアンが1668年に定めた絵画ジャンルのヒエラルキーからもわかるように、風景画は芸術的、精神的な価値の低いものとして一般には見なされていた。それにもかかわらず、プッサンは風景画に新たな表現の可能性を見出し、愛好家たちはプッサンの風景画を好んで求めた。その背景には、プッサンと顧客たちの思想的な傾向があると考えられる。プッサン自身の書簡や伝記が明らかにするように、この画家は、質素で自然に即した生活と精神の静けさをもたらす環境に身をおくことを重要と考え、彼が信頼した顧客たちも同じ価値観を共有していた。この態度は同時代の「隠遁」と通じる。そして、豊かな自然や牧歌的な景観を描いた風景画が、その鑑賞によって精神―62―福田恭子

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