江戸狩野派における「彦根屏風」受容 的な「隠遁」を観者に果たさせる機能を有していたことは、同時代の風景画研究において既に指摘されていることである。したがって、少なくともプッサン周辺の人々が風景画に価値を見出した背景を考える上でこの問題は検討に値し、またプッサンの風景画制作の動機とも関わる可能性がある。第二に、「隠遁」の場として想定される自然は、理想的風景画における牧歌的で快い景観に他ならない。同時代の人々が風景画に求めていた構成要素を知る上で、あるいは、どのような自然を理想としていたのかを明らかにする上で、「隠遁」をめぐる言説は参考になろう。そして最後に、プッサンの風景描写に「隠遁」の効果が認められるのだとすれば、観者の内にもたらされた精神的な穏やかさが、そこに描かれた主題を解釈する際にどのように影響するのかを考察することが重要である。個々の作品における風景の性格と構成要素が、主題の選択とどのように関わっているのかを検討することで、プッサンの歴史的風景画の制作原理を明らかにしたい。研究の目的と意義近世初期風俗画の泰斗として名高い「彦根屏風」(彦根城博物館蔵)は、鍛冶橋狩野家七代目・狩野探信守道(1785~1835)をはじめとして、狩野派を中心に多くの模本や翻案作品が生み出された。本研究では駿河台狩野家・楽央斎休真洞信の画業を考察の中心に据えることで、江戸狩野派において「彦根屏風」が描き継がれた過程を明らかにし、江戸時代後期以降における狩野派の画風変遷と「彦根屏風」受容との相関関係について考察を進めることを目的とする。江戸狩野家のパトロンであった徳川将軍家や大名らが、浮世絵師の勝川春章(1726?~92)や葛飾北斎(1760~1849)の肉筆浮世絵を愛好していたことは、近年になって広く知れ渡るようになった(参考文献:内藤正人『浮世絵とパトロン天皇・将軍・大名の愛した名品たち』慶應義塾大学出版会、2014年)。将軍家や大名らが肉筆浮世絵に親しんでいたことを考慮すると、安村敏信氏がこれまでの研究で指摘されてきたように、浅草猿屋町代地狩野家の五代目・狩野章信(1765~1826)や狩野探信―駿河台狩野家・楽央斎休真洞信の模本「彦根屏風」を中心に―研究者:東京国立博物館アソシエイトフェロー―63―曽田めぐみ
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