ルネサンスのイタリアにおける「キリスト哀悼」彫刻群像表現の研究Bernazzani, Un seul corps. la Vierge, Madeleine et Jean dans les Lamentations italiennes, ca. 1272-1578が2014年に刊行され、本課題に重要な基盤を供してくれよう。研究者:武蔵野美術大学非常勤講師本研究が扱う「キリスト哀悼」は、受難伝の中で「十字架降下」と「キリスト埋葬」の間に挿入される場面として知られるが、本来福音書には記述されていない図像である。「キリスト埋葬」の変化形として9世紀には最初の事例が確認され、まずキリストの身体を墓に運搬する運び手に悲劇的感情の表出が付され、さらに聖母や嘆く女たちといった登場人物を加えながら、11世紀にかけて徐々に「哀悼」の群像表現が形成されていったと考えられている。こうした図像の一般的な発展史は既にK. この図像の彫刻による群像表現に対する研究の進展は、1980年代から活性化したテラコッタ彫刻や彩色彫刻全般に対する関心の高まりと足並みを揃えている。「哀悼」群像における代表的な作例を取り上げたG. Agostini, Niccolò dell’Arca. il Compianto sul Cristo, 1985やG. Gentilini, Una pietà di Andrea Della Robbia, 1991は、それぞれエミリア=ロマーニャ州とトスカーナ州の作例を系統立てて論じたものとして、この分野の基礎的研究となっている。一方フランスにおける類似したタイプの彫刻群像「キリスト埋葬」に関してはM. Martin, La statuaire de la Mise au Tombeau du Christ, 1997の中で現存作例が体系的に論じられ、そこではイタリアの作例についても概観されている。イタリアでは近年の修復の成果として個々の事例研究の進展が目覚ましいが、これらの蓄積を受けつつ、今後はより俯瞰的な視野での議論が望まれていると言えよう。本研究でイタリアの作例を論じるにあたっては、これらを同じ図像解釈に基づくひとつのグループとして扱うのではなく、地方ごとにある程度独立した現象として捉えて表現形式の発展史を整理したい。既に述べたように、「キリスト哀悼」の図像は「十字架降下」から「埋葬」までのシーケンスの任意の瞬間を切り取るという成立の背景ゆえに、いくつものヴァリアントを許すという特徴を持っている。よって表現形式確立の過程では、その地方に支配的な彫刻・絵画表現の伝統の縛りを受けながら、時に他図像と融合するなど、地域ごとに異なる道筋を辿っている。最終的に互いに似た外―65―藤﨑悠子Weitzmann, “The origin of the Threnos”, De artibus opuscula, XL, 1. Text, 1961, pp. 476-490によって要約されている。近年ではイタリアにおける図像展開を跡付けたA.
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