鹿島美術研究 年報第35号
81/142

京都・禅林寺蔵「山越阿弥陀図」と来迎する持幡童子に関する研究観を持つに至ったこれらの作例が、今日の「キリスト哀悼」群像の集合体を形成しているとも言えるのである。「哀悼」のこのような有機的な発展の図式を忠実に記述することが本研究の目的である。本課題の対象作例の美術的な価値にはばらつきがあり、まさにそれゆえに彫刻史研究の本流の陰に隠れてもいたが、むしろそれらは社会史的、宗教史的、文化人類学的に重要な価値を持っている。その意味で同じルネサンス期のイタリアという、極めて限定された時間軸で爆発的に普及した他の文化現象、すなわち聖史劇の上演、サクロ・モンテ(ジオラマ風彩色群像を収めた小礼拝堂群)の造営、聖堂内への等身大蝋人形の奉納といった問題と関連付けて語る価値のある対象である。これらの現象同様に、イタリアにおける迫真的で演劇的なイメージの戦略的利用の議論に触れることになる本課題の考察が、ルネサンス文化そのものの理解の一助となることを期待したい。研究者:高岡市美術館 学芸員鈴木雅子本研究では、京都・禅林寺蔵「山越阿弥陀図」(以下、本図とする)を主な対象作品とする。本図に描かれる各図像を上代仏教の滅罪思想との関連で読み解いた上で、新たに、本図の意味する教理や制作の主体や目的について包括的に考証することを目的とする。また本図と同様に、来迎する諸尊に供奉する持幡童子を描く仏教絵画や一連の山越阿弥陀図も対象とし、そのテーマやモチーフの成立と変遷について探究する。一般の来迎図と同様、恵心僧都源信に仮託される伝承を有する「山越阿弥陀図」は浄土教美術のなかでも破格の様式を誇る。その成立に関わる宗教観にとどまらず、秀逸な山水表現や卓越した情景描写などが芸術的にも研究者たちの興味を惹きつけ、これまで分野を問わず多方面からの論考が試みられてきた。大串純夫氏によって、本図を含む一連の山越阿弥陀図が大系的に考証されて以降、興教大師覚鑁の思想を背景とする真言密教の教義に基づく図であることを解明した中野玄三氏の専攻論文によって、本図における確かな研究基盤が築かれることとなった。さらに近年でも本図と山越阿弥陀図への関心や研究は活況を失っておらず、山上(中)他界観や日本人の死生観といった視点から一連の山越阿弥陀図を読み解こうとする論考や、制作年代ととも―66―

元のページ  ../index.html#81

このブックを見る