鹿島美術研究 年報第35号
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日本を表象する女神図像の研究―近代日本の美術と「古代」―し、さまざまな分野の研究の発展に寄与することができるものと考える。研究者:筑波大学芸術系准教授本研究は、近代日本における「古代」の相対化を美術の領域から証明すること、特に国家を表象する女神像と古代神話の関係を読み解くことにより、明治政府が国家の擬人像を必要とした理由について考察するものである。国家の擬人像は西欧においてはギリシアのアテーナー、フランスのマリアンヌ、ドイツのゲルマニア、スイスのヘルヴェティアなど女神像で表されてきた。それらは現在でも国家表象として使用されている。日本にはこれらに相当する女神像はなく、女神以外でも国家を表象する擬人像は存在しないと考えられてきた。しかし現在ではほとんど知る人がいないものの1902年(明治35)の日英同盟締結時にイギリスのブリタニアと対応する女神像として「やまとひめ」が創作されている。諷刺漫画家の北澤楽天が『時事新報』紙上で発表したこの図像は、タバコのポスターや着物柄など商業デザインに応用され、1940年(昭和15)までは絵画のなかにもみられた。しかし終戦後GHQによる「神道指令」と並行するように女神図像は消滅していった。明治期に創出され第二次大戦後に消えた日本の擬人像「やまとひめ」を研究することにより、国家神道成立の過程で明治政府が自国の古代神話をどのように解釈したかを明らかにすることができる。さらには西欧列強と比肩する近代国家として明治日本が古代から連綿と続く歴史を持つ国家であることをアピールしようとし、そのために視覚化された古代史を必要としたことを証明できれば、美術史の方法論と視点から日本の近代史と古代史を結びつけることができる。これまでも明治後期における歴史画の流行、そのなかで古代神話が視覚化されたことについては研究がなされ、日本近代美術史の重要なトピックとして定着している。筆者は、すでに研究をすすめている1910年(明治43)日英博覧会が日英同盟の強化と民間レベルでの国家間交流を目的としていたことから、外交上の必要性に迫られて明治政府が古代を相対化する大きな契機となったこと、それにより古代史・古代神話の視覚化が推進されたことを明らかにしつつある。それにより、明治期の歴史画流行の見取り図に新たな視座を加えることが期待できる。―68―林みちこ

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