ピーテル・ブリューゲル(父)作《死の勝利》―コピー作品に基づく考察―具体的には「やまとひめ」の参照元となった倭姫命、さらに古代神話から伊邪那美命、天照大神、明治期に多く描かれた神功皇后を中心として女神図像を分類、分析する。対象とするのはアカデミズム絵画だけではなく、新聞、雑誌、商業美術、着物柄までを含み、さらに国内の図像だけでなく海外で発行された新聞、雑誌における日本イメージも比較のために参照し、分類、分析する。近代史と古代史の連関については、伊勢神宮と斎宮、倭姫命宮に着目し、特に倭姫命宮が明治期に構想され1921年(大正10)に創建された経緯をたどることで、天照大神の「御杖代(みつえしろ)」としての倭姫命の伝承が国家表象としての女神像にどのように反映しているかを明らかにする。また国家神道を担った内務省において官僚として美術行政に携わった黒川真頼と中川忠順について調査し、国家表象の学術的裏付けへの関与を明らかにする。研究者:九州大学大学院人文科学府博士後期課程ピーテル・ブリューゲル1世の《死の勝利》(1562年頃、プラド美術館蔵)は、褐色の荒野で繰り広げられる死の軍勢と生者との闘争を描き出した作品である。本作品は注文主や制作の経緯が明らかとなっておらず、先行研究では、この特異な死の図像の着想源となった主題とイメージソースの解明、あるいは描かれたモチーフのイコノロジー的解釈といった、「描き手」の視点に立った研究に重点が置かれてきた。本研究の目的は、ピーテル2世とヤン1世を、父ブリューゲル作品の重要な「受容者」と位置付け、彼らの制作したコピー作品の分析に基づいて《死の勝利》を再考することによって、先行研究を補完するとともに、ブリューゲル作品の研究に新たな方向性を提示することにある。ピーテル2世とヤン1世のコピー作品をもとに、《死の勝利》を受容者の視点から再考することの意義は、第一に、来歴の明らかでない《死の勝利》研究ではこれまで棚上げせざるを得なかった前提、すなわち、画家は受容者たる注文主の存在を多分に意識しながら作品を制作したという、作品制作における画家と受容者の相互的な関係性を踏まえた、多元的な作品理解が可能となる点にある。ピーテル1世のオリジナル作品と息子たちによるコピー作品とを比較した際に見出―69―香月比呂
元のページ ../index.html#84