鹿島美術研究 年報第35号
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されるモチーフの相違は、従来、安価に入手することのできた複製品に必ずしも正確さが求められたわけではなかったことを示す証として理解されるのみで、その相違が生じた理由はほとんど問題とされてこなかった。しかし、ピーテル1世によって残された《死の勝利》の下絵が、完成作品にほぼ忠実なものであったとするならば、機械的に量産されたはずのコピー作品に見出されるモチーフの相違は、単なるコピーの不正確さとして閑却すべきではないだろう。そこで筆者は、これらの相違点をピーテル2世とヤン1世によって意識的に施された「改変」としてより積極的に捉え直し、この改変部分にこそ、二人の息子たちの深い作品理解が表出しているのではないかと考える。すなわち彼らの作品理解について考察することは、《死の勝利》という極めて特異な死の図像を、当時の人々がどのように鑑賞し、どのように理解したのかという本質的問いに答える糸口となることが期待されるのである。また本研究は、今日のコピー研究の動向に鑑み、作品の解釈においてその有用性を問い直すという点においても意義がある。現存するピーテル2世とヤン1世によるコピーや「ブリューゲル風」の作品の多くは、同時代に大量の粗悪なコピーが生産された事実とも相まって、創造性に乏しい後世の模造品として長らく等閑視される傾向にあったが、1997年から1998年にかけてヨーロッパを巡回した「Breughel-Brueghel展」をきっかけに、世界各地でブリューゲル一族をテーマにした展覧会が開催され、ブリューゲル研究におけるコピー作品の重要性も広く認知されるようになった。また近年では、C. キューリとD. アラート両氏によってピーテル2世によるコピー作品の科学調査がおこなわれ、その複製手法の一端が明らかにされた(Brueg[H]el Phenomenon [2013])。この著書は、「父のオリジナル作品から子のコピー作品へ」という固定化された枠組みの中でおこなわれてきた従来の作品研究の中で、「コピー作品からオリジナル作品を考える」という、遡行的な方法論を提示したという点においても示唆的であった。本研究が完成したならば、今後さらに活発となることが予想されるブリューゲル作品のオリジナルとコピーに関する議論において、コピーからオリジナル作品の解釈を試みる嚆矢的なモデル・ケースとして、ブリューゲル研究のさらなる展開に寄与するだろう。―70―

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