鹿島美術研究 年報第35号
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底材が何であるか、さらには、なぜそうした基底材が選ばれたのかという問題については、十分に解明されていない。本研究では、呉春筆「白梅図屛風」に用いられている基底材が、絹とは異なる靭皮繊維の布と観察されるため、麻布、葛布、芭蕉布などの靭皮繊維との比較を進める。特に、従来、葛布と指摘されることから、葛布に描かれた作例を広く集めたい。とりわけ、静岡の掛川は、江戸時代から葛布の産地であったため、同地出身の画家である村松以弘(1772~1839)の作例には、葛布に描いた絵画がかなり確認されている。また、同じく静岡出身の画家である福田半香(1804~64)についても、葛布に描いた大作が知られることから、静岡ゆかりの画家を中心に、葛布作例の捜索を進める。一方、呉春筆「白梅図屛風」も、国の重要文化財指定では「絹本」とされているように、絹や紬とみなされている作例の中にも、特殊な靭皮繊維の基底材があると想定されるため、葛布に限らず、広く情報収集を図りたい。なお、情報収集した作例については、高精細のデジタルカメラによって組織拡大写真を撮影するとともに、顕微鏡写真等も活用しながら、基底材についての比較や同定をおこなう。こうして蓄積した画像や情報は、特殊な基底材についての基礎的なデータとなり、その資料的価値や、アーカイブとしての意義も大きい。ところで、呉春筆「白梅図屛風」の基底材は、粗い風合いながら、光を反射する光沢のある素材であり、絖や金箋と同じく、光の表現と密接に結びついた選択とみなせる。同様の素材選択は、蕪村にも見いだせるが、江戸時代の18世紀中期以降、日本においても、絖や金箋の使用が増えるとともに、渇筆や擦筆といった素材のマチエールを活かした絵画表現も登場してくる。呉春筆「白梅図屛風」は、そうした時代の状況を示すとみられ、特殊な基底材の使用と選択の意図の解明が、同時代の状況をも明らかにすると想定される。さらには、呉春より前の時代では、蕪村のほか彭城百川(1697~1752)や柳沢淇園(1703~58)、後の時代では、酒井抱一(1761~1828)や谷文晁(1763~1840)など、マチエール表現に意識的だった画家との関連性を探るうえでも、有効な一つの指標となると考えられよう。―73―

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