鹿島美術研究 年報第35号
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近代化する浮世絵研究者:中山道広重美術館学芸員明治期浮世絵、石版画、肖像写真や日本画に共通して見られる美人風俗図における図像の淵源を遡って江戸期浮世絵に求め、美人図像として定型化していく過程とその後の展開について考察する。これは、浮世絵という絵画の受容の変遷を理解することにも大きく貢献するものであると考えられる。これまで筆者は明治期浮世絵の研究を行う上で、美人肖像写真、石版画などを比較対象として見てきた。それらは先行研究において、浮世絵の延長線上に位置するものとされ、構図や画題の類似性が指摘されている。しかしながら具体的な作品を挙げての比較や、表現に関する言及がなされることは殆どなく、類似点や影響関係についても漠然としていた。明治期浮世絵について研究するにあたり、今回、江戸から大正までに制作された作品を幅広く対象とすることで、まずは浮世絵という絵画が「何を描いた」ものであったかをということを明確にしたいと考えている。これによって構図やモチーフなどといった表面的な点ばかりでなく、より多面的な視点にから、浮世絵とその他の視覚メディアとを比較することができる。開国と急進的な近代化政策によって、浮世絵に描かれる人物風俗も当然変化するわけだが、煉瓦や洋装が描かれるようになったからといって、浮世絵の根本的な美人表象・表現の方法が変わったわけではない。だが、写真や石版画といった新しい視覚メディアの登場によって、浮世絵にも徐々に“近代的な視点”が持ち込まれたのは確かである。「浮世絵」がいかなる絵画であるか明らかにすることは、真の意味での「浮世絵の近代化」とはどういうことなのかを探っていく手掛かりにもなるだろう。今回取り上げるのは明治後期に制作された錦絵と、写真美人帖である。様式においては従来の浮世絵を踏襲し、また当時のさまざまな文化や思想の影響を取り込み、主題としては極めて同時代性を強く示す「真美人」、これと同じ時代に同様の主題を扱いながら独自に発展を続けた肖像写真とを比較するのである。小川一眞は渡米後、写真館「玉潤館」を営みコロタイプ印刷、写真乾板製造、カーボン印画法等を手掛けた。『写真新報』の復刊、編集を行うなど日本における写真術の発展に大きく寄与した。後には九鬼隆一やフェノロサによる古美術調査に同行、また岡倉天心とともに國華社を創設、『國華』でのコロタイプ写真図版に携わる。一方、―74―前田詩織

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