注(1)関千代「上村松園とその作品」(『美術研究』195、昭和33年3月)(2)『奥原晴湖展』図録(埼玉県立博物館、昭和53年10月)、守屋正彦「野口小蘋研究―野口家蔵山田新一研究―日本占領期における在韓日本人画家の越境の記録―(3)ジェンダーの視点から女性画家を取り上げた展覧会には、「奔る女たち女性画家の戦前・戦後1930-1950年代(栃木県立美術館、平成13年10月)、「前衛の女性1950-1975」(栃木県立美術館、平成17年7月)などがある。(4)仲町啓子(研究代表者)「描いた女性たちに関する研究―桃山時代から明治・大正期まで」(科(5)小川知子編『島成園と浪華の女性画家』(東方出版、平成18年3月)(6)ジェンダーの視点からの女性画家研究にはほかに、『「奔る女たち女性画家の戦前・戦後1930-1950年代」展』図録(栃木県立美術館、平成13年10月)、草薙奈津子監修『日本の美術女性画家の全貌。―疾走する美のアスリートたち』(美術年鑑社、平成15年12月)、池田忍『近代日本の女性美術家と女性像に関する研究』(科学研究費研究成果報告書、平成19年3月)、北原恵『20世紀の女性美術家と視覚表現の調査研究―アジアにおける戦争とディアスポラの記憶』(科学研究費研究成果報告書、平成23年3月)などがある。(7)吉良智子「1920、30年代の日本における女性美術家グループの活動と展開」(『鹿島美術研究』22、鹿島美術財団、平成17年11月)(8)拙稿「栗原玉葉に関する基礎研究」(『美術研究』420、平成28年12月)(9)荒井菜穂美「南画家野口小蘋を導いた人々」(『東アジア文化交渉研究』8、平成27年3月)、太田佳鈴「奥原晴湖、瀧和亭、服部波山、福島柳圃、松岡環翠「文人寄書」について」(『実践女子学園香雪記念資料館館報』10、平成25年3月)など。以上のように、本研究は女性画家に関する研究をとおして、従来の美術史をより豊かなものへとすることが出来る、意義深いものであると考えている。研究者:東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程山田新一(1899-1991年)の生涯は、戦前期における画家の移動を端的に示す好例であり、日本占領期の植民地画壇における日韓交流を考える上でも欠かすことのできない存在である。1899年に台湾で生まれ、日本で美術を学び(1918-1923年、東京美術学校西洋画科)、韓国で画家や美術教師として活動した後(1923-1928年)、フランスに美術留学をする(1928-1930年)という経歴からも見て取れるように、彼の人生は「旅」そのものであった。日本の近代画家にとってフランスは主要な留学先であり、洋画家を目指す数多くの日本人がパリへ向かっていたが、山田のように植民地韓国を経由してパリに赴いた場合は、日本から直接留学する画家とは、その目的や帰国品を中心として―」(『山梨県立美術館研究紀要』3、昭和57年3月)など。学研究費助成事業研究成果報告書、基盤研究(B)、課題番号24320029、平成27年)―79―申旼正
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