鹿島美術研究 年報第36号
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下村観山の仏伝図についての研究容が模写と創作の双方を考察することで明らかにできると考える。また、波光に限らず、日本画家が取り組んだ西洋画の模写も同様に受容と創作の面から考えていきたい。研究者:神戸大学大学院人文学研究科博士課程後期課程本研究では、展覧会の出品作として制作された仏画であるという点で、近代以前のそれとは性格を異にすることに注視して独自の位置付けがなされるべき仏画の中でも、近代以降に多く制作されることとなった仏伝図に光を当てる。仏伝図が近代以降に隆盛する理由は、西洋美術に触れた日本の画家たちの中で、西洋における歴史画と同等のものを日本において制作しようという機運が高まったとき、キリスト教主題や神話主題に代わるものとして東洋における仏伝図を見出したためであると仮定し、その視点から調査を進める。なかでも、国粋主義思想の高まりの延長として東洋文化を重んじる風潮にあった当時の日本画壇において、歴史画の本場といえる西洋に赴いた下村観山による仏伝図に注目する。西洋美術を実見した観山による仏伝図の独自性を探ることで、近代における仏伝図が持つ意義とその機能を見出し、それによって近代における仏画を日本美術史全体の中で位置付ける作業の端緒とすることが、本研究の目的である。下村観山は、横山大観、菱田春草と並び岡倉天心門下の三羽烏と称されていたことで知られているが、研究においては他の二人ほどには評価されてこなかったというのが実情である。それでも、近年は大規模な回顧展が開催され、また椎野晃史「下村観山筆「魔障図」をめぐる考察─近代白描画試論─」(『美術史』178号、350-366頁、2015年)に見られるように、古画学習とその反映という視点から研究が行われてきた。しかしながら、観山における仏画、その中でもとりわけ仏伝図に関しては、作品としての重要性は認識されてきたものの、作品研究として結実するには至っていない。観山の仏伝図には、「仏誕」、「闍維」などがあるが、それらの作品は明確な舞台設定と三次元性を強く意識した空間表現、陰影表現が特徴である。つまり、仏画でありながら、実際に存在したかもしれない一場面を再現するという点に力点が置かれてい―86―宮﨑晴子

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