鈴木其一の光琳回帰と流派意識についてもできよう。もともと初期作品においても、薄浮彫りで奥行きを表現しようとした《階段の聖母》に見られるように、ミケランジェロは空間の把握に対する関心が高かった。また《バッカス》ではサテュロスの存在により正面と呼べる視点が複数存在するに至っており、彼の視点に対する考察は初期から始まっていたことがうかがえる。ミケランジェロがもっともこの点に関して熟慮を重ねたのが第3フィレンツェ時代であった。この時期に上述の《キリスト》や《勝利》などを制作しただけでなく、強いねじれをもつ人物像を用いて観面を接続することにより鑑賞者に視点の変更を促す造形を持つ《サムソンとペリシテ人》(の原作)をも制作している。そのため第3フィレンツェ時代は、視点という観点から特筆すべき時期なのであって、ミケランジェロの視点の取り扱いにおいて、彼の生涯でもっとも先鋭化した時期であった。研究者:名古屋大学大学院人文学研究科博士後期課程意義これまで画業を通貫する作画態度が提唱されずにいた其一研究において、光第3フィレンツェ時代をはじめとするミケランジェロ作品における多視点性の問題は、造形的に彼の彫刻発展史において重要であるだけではなく、後代のマニエリスムの芸術家への影響という点でも重要なのは言うまでもない。マニエリスムの芸術家がミケランジェロの彫刻に見られるねじれを導入したということはすでに指摘されているが、後代のみならず同時代の芸術家や理論家によっても賞賛され、理論化されたということから、ミケランジェロの作品がもつ多視点性やそれをもたらした彼の視点に関する認識は当時からすでに重要性を持っていた。したがってそれに対する考察で得られる成果は、先行研究に欠けていた視点に関する彼の意識の体系的な跡付けだけにとどまらない。同時代や後代の芸術家や芸術理論家への影響も勘案すれば、ミケランジェロ作品の受容論にも敷衍することができるのである。つまり、ミケランジェロ作品における多視点性の研究は、彼の作品そのものの造形や彫刻と絵画との関わり、設置場所のコンテクストなどの複雑な問題を解きほぐす切り口となることが期待できるだけでなく、彼の芸術を受容した人々がミケランジェロ作品の何を重視していたのかという点にも一定の答えを提示することができるはずである。―90―山口由香
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