南北朝・隋唐時代における法界仏像の図像形成に関する研究研究者:早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程現存するが、ここでは「三十六歌仙」の周囲に扇面流しの図柄を配した其一作品を契機に、形態と意味の両面における光琳作品の変奏と再構築について考察したい。また(2)では其一の代表作のひとつ「朝顔図屏風」を取り上げ、同じく金・群青・緑青の三色で構成される光琳の「燕子花図屏風」との比較研究を進める。ここでは(1)で利用した変奏と再構築についての考察をさらに応用し、「朝顔図屏風」は「燕子花図屏風」を形態的にも意味的にも変奏したものであり、光琳に回帰した其一の画業の集大成に位置づけられる作品であるという可能性を提示したい。これらを検証する過程で、其一の古典学習に関わる史料やその成果が現れた作品を整理し、其一と光琳の作品における関係性、ならびに絵師としての関係性についても研究を深化させる。本調査研究では、法界仏像と呼ばれる、特異な如来像─像身に須弥山や六道衆生など多様なモティーフが表現された如来像─を対象とし、同仏像が中国内地において造形化された初期と思われる6~7世紀頃、すなわち南北朝時代から隋を経て初唐にかけての作例を中心に取り上げ、それら初期作例の検討を通して中国内地における法界仏像の図像形成の一端を明らかにしようと試みる。法界仏像に関する研究は蓄積されているが、同仏像をめぐる議論は、専らその尊格を何仏と同定すべきかという問題に重点が置かれてきた。しかも、この問題の解明を目的とした研究の大半は、尊格同定には決め手となる根拠─尊名を明記する傍題・銘文─が欠けている、南北朝・隋時代の法界仏像にばかり目を向けているが、尊格が既に盧舎那仏と定着している、唐代以降の作例を重視していない。それに対し、本調査研究で、南北朝・隋時代の法界仏像のみならず、従来注目されてこなかった、初唐の作例までを研究対象としている。というのは、南北朝・隋時代から初唐時代にかけての法界仏像は、モティーフの配置という点において、共通するうえに、新たな展開を遂げた盛唐以降の法界仏像とは一線を画されるからである。つまり、それらすべてを法界仏像の初期作例として捉えることが可能である。要するに、本調査研究は、作例の尊格が既に判明しているか否かによる研究対象の取捨選択を行うものではなく、法界仏像の図像形成の実態を明らかにする上で考察する必要な初期―92―易丹韻
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