鹿島美術研究 年報第36号
113/150

近世後期における「やまと絵」の再編―狩野養信を中心に―る。この状況を打開し、世界の人々の縄文に対する関心の高まりに美術側から十分に応えるために、縄文中期の土器だけでなく、後期や晩期などの異なる時期区分の、異なる様式の土器に向けられてきた造形的な関心についても検証し、多角的に縄文の美を考察する必要がある。茶道具に改作された縄文後期や晩期の土器に関する本調査の一番の目的は、美術としての縄文土器の研究を進展させることにあるが、研究課題名を「考古資料と美術品の境界に関する研究」としたように、本研究は、考古学、歴史学、文化人類学、博物館学など美術以外の研究領域を横断する超領域の研究になるため、それぞれの研究分野にも研究成果を還元できるだろう。特に歴史学の分野では、第二次世界大戦後まで一部の先進的な歴史学者によるものを除いて神代の物と記されていた先史考古遺物が、日本の歴史教科書に登場するまでには複雑な経緯をたどることについてはすでに発表を行っている(国際シンポジウム『フィラデルフィアと明治日本』2018年9月)。それをふまえ、金箔をまとい茶道具として改作された縄文土器に、神代の意識と近代考古学の意識がどれほど反映されていたのかを明らかにすることも、本研究の醍醐味といえる。茶道具に仕立てられた縄文土器をテーマにした本研究は、現在縄文の美を語る言葉として普及している岡本太郎の縄文土器論を超えて、より多角的に、縄文の美の本質に迫り、新たな美術としての縄文観を創出する。また、本研究により、これまであまり語られてこなかった、日本の考古資料と美術品の境界についての研究が活性化することも予測される。研究者:学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程狩野晴川院養信(1796~1846)は、江戸時代後期に活躍した木挽町家狩野派9代目の絵師である。2度にわたって統率した江戸城障壁画制作の下絵や、36年間の活動を記した『公用日記』(共に東京国立博物館蔵)等により、奥絵師としての日常や仕事の詳細が判明している。盛んに古絵巻類の模写を行い、復古的なやまと絵も制作した。従来、養信については、日記等から明らかとなる事績、模写活動、作品にみる考証性について論じられてきた。作品研究は多くはなく、その制作背景や、日記との照合、―98―関彩与子

元のページ  ../index.html#113

このブックを見る