鹿島美術研究 年報第36号
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一部の作品における古画図様との比較、構図の源泉を辿るなどに止まり、その先の絵画様式や、図様をどのように消化し独自の工夫を凝らしているのか、養信におけるやまと絵とは何か、といったやまと絵画家としての養信の姿は捉えられていない。この問題は、近世後期の「やまと絵」の展開の解明にも大きく関わっている。まず、養信の源氏絵に注目することで、様式的特徴を明らかにする。これまで、「源氏物語図屏風」(法然寺)・「源氏物語子の日図屏風」(遠山記念館)は制作背景が論じられ、特に法然寺本については養信による古画模本との図様借用について指摘されてきた。養信作の源氏絵は若年期から壮年期までが現存しており、それを改めて総括的に図様借用の検討を加え、テキストとの関係も探ることで、どのように源氏絵を構成していったのかを明らかにする。また、養信の源氏絵に顕著にみられる水平的な構図は、父である栄信の先例に倣ったことが指摘されているが、萌芽は桃山後期の作品に見られ、そこから養信の雅信までの変遷、同時代の他派の作品を検討することで、その構図による効果と展開の様相を示し、養信作品の様式的特徴を明らかにしたい。次に、養信がやまと絵をどのように捉えていたのかを考察したい。養信は、冷泉為恭(1823~1864)に「年中行事図巻」(細見美術館)を制作させたが、「古躰」であることを指示していた。既に「承安五節絵」や「春日権現記絵巻」との関係が示され、伝統的な暦を描くことで、西洋暦を主導する幕府を牽制するという、為恭の視点による作品の意義も推察された。しかし、作品の意義は養信の視点からも検討すべきであり、また、やまと絵の代表的な主題である年中行事はしばしば狩野派作品に用いられ、主題そのものに意味があった可能性がある。従って、「年中行事図巻」と年中行事図様の諸作品を比較し、年中行事主題の役割を捉え、主題面から「古躰」を再検討し、「年中行事図巻」の意図、養信にとってのやまと絵の意義を示したい。以上によって、養信のやまと絵画家としての姿を浮き彫りにする。同時に、近世後期狩野派を中心とする源氏絵の展開、年中行事主題などのやまと絵の意義が明らかとなり、探幽の「新やまと絵」研究など、近世前期に偏りがちであった「やまと絵」の展開を補完することができよう。近世において、琳派、復古大和絵派などが、やまと絵の系譜を受け継ぎながらも、正系とは異なる画風を築き上げ、また、探幽をはじめとする狩野派も「やまと絵」を手掛けた。従来、基本的にはやまと絵は土佐派・住吉派、漢画は狩野派という二項対立的に捉えられがちではあるが、本研究によって、二項対立的な研究構造を解き、やまと絵研究の発展を促す糸口としたい。―99―

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