五百羅漢図の研究―清規の図像化―研究者:東京文化財研究所研究員本調査研究の目的は、清規の絵画化という考察を通じて、五百羅漢図が担った絵画としての機能の一端を明らかにすることである。前述の通り、羅漢はその姿形が出家者に近いため、僧侶たちが自身と重ね合わせて信仰してきたとされ(注1)、羅漢図に僧院の日常生活が描かれるのは、このような僧侶と羅漢とを同一視する思想に基づくものと考えられる。一方で羅漢は本来、不老不死かつ奇瑞を起こす超越的な存在であり、伝統的な羅漢図に描かれるのは超人的な能力を示す姿や、在俗者や動物たちから供養を受ける姿がほとんどである。そのような画題はもちろん、大徳寺本や円覚寺本、東福寺本にも含まれているが、同時に、現実世界の僧侶と同じように日常生活を送る羅漢という図様が選ばれている点に、これら五百羅漢図の大きな特徴があると言えよう。後述するように、大徳寺本を始めとした中世の五百羅漢図のうち、「食事」や「入浴」、「喫茶」といった場面には細部に至るまで『禅苑清規』の内容に合致する描写を見出すことができ、清規に基づく僧院生活を忠実に絵画化しようとする態度をうかがうことができる。大徳寺本は近年の光学的調査によって、画幅に記された金泥銘が解読され、施入された寺院や結縁者など、制作背景に関わる様々な情報が明らかにされている。ただし、実際に大徳寺本がどのような目的で制作され、いかなる儀礼で用いられたかなど、絵画そのものについての機能や制作意図は十分には解明されていない。本調査研究では、大徳寺本をはじめとする五百羅漢図において清規(あるいはそれに基づく修行生活)が画題として取り入れられたことの意味を検証し、その制作目的あるいは期待された機能を考察する一助としたい。また、清規そのものは、南宋のみならず中世日本の寺院にも取り入れられており、日本で描かれた東福寺本についても、その図様を検討する大きな手がかりになるであろう(注2)。初期の入宋僧である栄西や道元、円爾らは南宋の寺院で清規に基づいた僧院生活に実際に触れ、帰国後は自身が開いた禅宗寺院で南宋に倣った修行生活を実践していた(注3)。中世の日本寺院では、大陸を手本とした仏教の実践が求められたと考えられるが、五百羅漢図を制作するにあたっても、単に図様を引き写すだけではなく、儀礼の場や信仰対象としての機能までも、再現しようとしたはずである。そうであれば、東福寺本や円覚寺本についても、図様―100―米沢玲
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