鹿島美術研究 年報第36号
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字径を中核的な発展要因とする書道史再構築の試みと清規の照らし合わせを詳細に行うことが、個別の制作背景を検討することにつながると考えられる。以上のように本調査研究では、五百羅漢図に描かれる清規に基づいた修行生活という画題の検討を通じて、そこに求められた機能や意味を考察する。大徳寺本に関しては国内外に多くの先行研究があるが、清規との関わりについては未だ充分に議論されておらず、本調査研究は新たな視点を提示し、研究の進展に寄与するものとなるであろう。また、清規は宋代あるいは日本中世の寺院を考えるうえで非常に重要な問題であり、絵画史を中心としつつ宗教史あるいは中世の日中交流史といった多角的な観点を持った研究となる。注1:梅沢恵「羅漢図における「生身」性とその受容」(『アジア遊学122』2009年)など。注2: 円覚寺本のうち、元時代とされる画幅については日本で描かれた可能性も指摘されている。研究者:筑波大学芸術系准教授日本・中国の書道史研究においては、貴族・高官の手になる名跡を中心に据え、その師承や書流の設定を中心にして論じられる傾向にある。例えば、2019年1月より東京国立博物館にて展覧される書家・顔真卿(709-785)においては、杉村邦彦「顔真卿は王羲之をどのように受け止めたか」(杉村氏『書苑彷徨』二玄社、1982所収)などにより、書聖・王羲之(303-361)からの書法の継承・展開を詳しく跡付けられている。確かに書道においては、真跡・模本・碑法帖(墨摺)により古法が伝承された部分があると思われ、上記の検討も首肯される部分が多い。しかし、アンリ・フォシヨン(1881-1943)『形の生命』(原題:Vie des Formes、阿部成樹氏訳など邦訳あり)に見られるような、単線的な様式展開を否定する議論に鑑みれば、書体・書風の変化について更に広い視野で捉えるべきであろう。正倉院文書(日本7世紀)と明代尺牘(中国16世紀)などといった、時代・地域を越えた書風の近似は閑却される傾向にあるが、本来であればそのような現象にも注意を払い、またその要因について詳述できな注3: 例えば永平寺で実践されていた規律をまとめた『永平清規』は、栄西が『禅苑清規』に基づ制作地の問題を含め、本調査研究で検討したい。いて整えたものである。―101―尾川明穂

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