鹿島美術研究 年報第36号
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元時代の水墨人物画の研究―画僧の作品を中心に―研究者:九州大学大学院人文科学府博士後期課程本研究は、元時代の水墨人物画に対する新たな認識の形成を促すと考える。1970年代から、戸田氏と海老根氏は、画風の分析を通して、元時代の水墨人物画の特色を述べている。二人の先達の研究によると、元時代の水墨人物画においては、禅余画家、職業画家、文人画家などの社会属性の違いは作品の造形上の性格を際立たせることなく、むしろ、相互に浸透し合って混交した独特の画風を形成しているという。確かに作者の社会性とその作風の間には密接な関係があるが、作者の地域性もその作風を左右する要因の一つであると考えられる。特に、150年余りに亘った政治上の南北分裂を終息させた元代において、華北と江南の人の交流、或いは物の移動は南宋時代よりも頻繁かつ活発であったことから、絵画という美術のジャンルにも南北交流という現象が顕在化している。既に石守謙氏などの研究者によって指摘されたように、趙孟頫をはじめとする江南の文人は、華北にある李郭山水の伝統、及び懐古的空間の表現を学び、従来にない斬新な山水画を描いた。それに対して、本研究は、華北出身の雪菴、及び華北の禅寺に住した因陀羅は、江南の水墨人物画を規範とし、従来の作風と違う水墨人物画を作ったという元代絵画史のもう一つの流れを示すことになる。地域性の問題の他に、本研究を通して、元時代に入ると、水墨人物画の規範性が禅宗以外の集団や人々に波及していったことを明らかにする。南宋と元時代の水墨人物画は「禅画」である、と従来の研究者は考えている。「禅画」、或いは「禅宗絵画」という用語の定義はかなり曖昧であるものの、禅宗に関連する絵画を指すと見てよい。現存する南宋の水墨人物画には、南宋の禅僧である智融が始めた罔兩画との関係が認められる胡直夫、李堯夫などの俗人による作と、南宋の宮廷画家梁楷の減筆体の作があるという点が注目に値する。確かに胡直夫、李堯夫、梁楷などの画家は禅僧ではないが、画面上に禅僧による賛文があるという点から見ると、彼らの作品は依然として禅僧の周辺で制作されていたものである。それに対して、現存する元時代の水墨人物画には、頭陀教の教主としての雪菴が描いた「羅漢図冊」、及び画面上に律宗の僧侶が書した賛文を持つ因陀羅筆の「観音図」があるということは看過できない。この二つの作品は、当時、水墨人物画制作を含める禅宗の文化が他の仏教宗派に影響を与えたことを強く反映している。―103―李宜蓁

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