鹿島美術研究 年報第36号
119/150

高麗時代における儀礼と観想の視覚化―ボストン美術館蔵「円覚経変相図」を中心に―さらに、絶際、黙庵、因陀羅の作品を検討する目的を、元時代の禅林における多様な絵画活動の理解を促すことに置く。厳雅美氏の研究によると、禅僧の語録に収録された画賛から見ると、他の禅宗の宗派と比べて、南宋の臨済宗の楊岐派はよく肖像をはじめとする絵画を利用して、信徒たちに禅機を示したという。また、元時代に入った後、楊岐派が絵画に対する態度は、南宋時代より積極的であると厳氏は述べている。しかし、楊岐派の中に大慧派と虎丘派があって、しかも、両派は対立していた。特に元時代に、こうした対立がより顕著になった。朝廷に接近した大慧派と異なり、虎丘派には、中峰のような、官寺に背を向け巌穴に隠遁する高僧がいた。それだけではなく、詩文が世俗化した大慧派に対して、虎丘派には、題材を仏教に限定した偈頌を重視した古林が出現した。本研究で扱う絶際と黙庵は、それぞれ中峰と古林との繋がりを持つ。したがって、彼らの作品を通して、元時代の虎丘派における絵画活動の実態が窺える。また、因陀羅による作品には大慧派の高僧である楚石梵琦の着賛があることから、その作品は元末における大慧派の動きを示すと考えられる。一方、画僧による水墨人物画を中心にする本研究は、元代絵画史における僧侶の役割を強調する。文人画が画壇の主流を占める元代において、画僧が客観的に評価されてこなかった。周知の通り、『図絵宝鑑』の作者である夏文彦は、墨蘭の名手であった雪窓普明、枯木と石菖蒲を得意とした子庭祖柏を酷評した。しかし、彼らの作品は禅林のみならず、文人サークルでも流行した。こうした事例から、画僧は元時代絵画史において重要な役目を担うことが分かる。ところが、蘭、枯木、石菖蒲はいずれも世俗的な画題なので、その中に宗教的な意味が込められているとは言いにくい。一方、釈迦、観音、羅漢などの尊格や禅宗の祖師や散聖などを主題とする水墨人物画には、画僧の本色が現れている。従って、本研究は、雪菴、絶際、黙庵、因陀羅による水墨人物画を通して、文人画家や職業画家とは異なる画僧の画業を探究したいと思う。研究者:九州大学大学院人文科学府博士後期課程米国・ボストン美術館蔵「円覚経変相図」は、『大方広円覚修多羅了義経(以下、円覚経)』を基に高麗で14世紀に制作された仏画である。『円覚経』とは、唐の佛陀多羅―104―柳尚秀

元のページ  ../index.html#119

このブックを見る