鹿島美術研究 年報第36号
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が7世紀頃に漢訳した経典で、如来と十二大菩薩が成仏をテーマに門答する内容ゆえに、『華厳経』の縮小版と評価される経典である。『円覚経』は唐時代の宗密が注釈書を編纂して以降、宋の浄源と高麗の義天によって伝来し、現在では華厳宗と禅宗の重要経典に位置づけられている。こうした円覚経をイメージ化した図像が中国四川の大足や安岳石窟に主に分布しており、杭州飛来峰にも類似する彫刻が確認される。高麗時代に制作されたものとして、米国・ボストン美術館蔵「円覚経変相図」と韓国・湖林博物館蔵「円覚経写経変相図」が現存している。『円覚経』とこの注釈書が本格的に編纂及び流布される時期と、各地に展開する過程を見ると、唐代には宗密によって四川と西安一帯へ、宋代には浄源によって杭州一帯へ、そして義天と知訥によって高麗へ伝播するという流れが確認される。注目すべきは、先に述べた円覚経関連の彫刻と仏画も、『円覚経』の時期及び地域の展開と大きく異ならないということである。これはつまり、ボストン美術館蔵「円覚経変相図」が単に一つの高麗仏画という一次元的な価値のみをもっていることではなく、中国と高麗間の関係のなかで生み出された作品として、その意味と価値を有する仏画と理解すべきことを示唆する。言い換えれば、「円覚経変相図」に対する調査研究を通して、中国と高麗、双方が認識していた『円覚経』のイメージとその信仰における総合的な解釈および理解ができる点に意義が認められる。かつ、本研究が美術史研究において主要な方法論と考えられている、国家に範囲を限定せず東アジア的枠組みから考察する観点に、もう一つの知見を加えることができると考えられる。研究成果のためには、現地調査が必須である。まず、大足石窟や安岳石窟を含む四川一帯の調査が必要である。周知の通り、この石窟に関する写真資料は相当に流通しているが、石窟という空間と彫刻の立体性などを考慮すると、石窟の内外を目視で直接確認し、その構成を把握するのが、研究において重要なポイントになると思われる。また、このような現地調査は四川のみでなく、杭州飛来峰を含む周辺一帯にも実施されるべきである。かつ、『円覚経』と関連注釈書が、唐代から宋代を経て高麗に至るまでの時間の流れのなかで、内容の変化がなかったのか、国内外に散在する円覚経関連典籍について調査及び比較作業を行う予定である。―105―

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