鹿島美術研究 年報第36号
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後期中世ヨーロッパにおける金細工工芸による聖遺物容器研究でもある。多数制作された来章作品を、現段階でまとまって調査することは難しいが、売立記録の調査をあわせて参照することによって、当時の実態の一端を知ることができる。楳嶺と多くの行動を共にした久保田米僊は「新時代の社会にも求められる絵画の役割」を追い続けたことが指摘されている。一方で楳嶺は、新しい社会における画壇の在り方を模索すると同時に、円山四条派以来の生活に寄り添う画を描き続けた形跡がある。「円山四条派から竹内栖鳳へ」と語られてきた京都画壇の近代化において、過渡期の画家たちが、いかにして新たな価値観に対峙していたかという問題は、近世的課題と近代的課題の両面から検証されるべきである。近年、鈴木松年や久保田米僊のように、この時期に重要な活動をしながら十分な検証が行われてこなかった画家の研究が進展しつつある。彼らと共に新時代の京都画壇を牽引した幸野楳嶺の構想を、多様な私塾資料から再考察する試みは、一人楳嶺の問題のみならず、後の時代に新しい日本画の花を咲かせた多くの弟子たちに通底する意識を読み解く上でも、大きな意義がある。研究者: 東京大学大学院人文社会系研究科博士課程 (日本学術振興会特別研究員DC2)太田フランス王シャルル5世の注文によりアンジュー公ルイのために制作された携帯用パネル型聖遺物容器《リブレット》は、14世紀後半フランス金細工工芸を代表する作品でありながら、当初からイタリアにもたらされ、15世紀後半以降フィレンツェにあり続けたこともあり、包括的な研究が十分には為されてこなかった。加えて、修復時に得られた様々な知見が国際的な形では十分に公表されないままとなり、美術史研究に反映されてきていない。素材・技法についての知見が、当該容器のより精緻な美術史的位置づけに役立てられる必要がある。かねてからの交渉の結果、今回、国立修復研究所の修復担当者をはじめとする修復研究者の方々と研究交流、情報交換を行うことが可能となり、また画像の提供を受けられることとなった。事前交渉の中でも、これまで筆者が視認し、推測するほかはなかった中央パネルの技法や素材についていくつかの興味深い知見を得ることができて―108―泉フロランス

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