鹿島美術研究 年報第36号
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16~17世紀西洋文献にみる日本の絵画受容研究者:東京国立博物館主任研究員Treasure Ships: Art in the Age of Spices, 2015; Christianity in Asia: Sacred Art and Visual Splendor, 2016等)。国内外の博物館、図書館の収蔵品データベースのオンライン公開が進み、特に在欧米のコレクションの情報が入手しやすくなったことで日本の伝世品との比較が容易になったことも、こうした研究動向を後押ししているといえよう。このような状況のなかで、南蛮美術成立の時代背景に対する理解は深化したが、一方でほとんど未着手の課題も残されている。そのひとつが、16~17世紀の西欧人による日本・東アジア美術に関する記録の分析である。宣教師や貿易商たちが著した膨大な書簡、報告類のなかに、当時日本で好まれていた美術工芸品についての言及がしばしば登場する。例えば、茶壺として高い需要を誇った「ルソン壷」を買い求める日本人の様子を伝えたモルガの『フィリピン諸島誌』や、安土城や安土城図屏風について描写したフロイス『日本史』などは頻繁に引用される。これらの情報は、異なる文化背景をもった外国人による論評として興味深いだけでなく、同時代の日本人が自国の美術について直接言及した記録も実は稀であるため、当時の美術の評価を知る一級史料なのである。しかし、これら外国文書中の記述は、美術史側では断片的に、特定のテーマに絞って引用される程度にしかあまり顧みられてこなかった。とはいえ直近では、岡美穂子氏(「ポルトガル人のアジア貿易におけるラッカー塗装工芸品と材料に―110―鷲頭桂15世紀末より本格化した西洋諸国のアジア進出の波は、16世紀半ばには日本にも到達した。それを機に、日本とヨーロッパの間では、17世紀中葉のいわゆる鎖国完成までの約百年間にわたって、人・モノ・情報が活発に往来した。対外交流の影響は美術の分野においても顕著に表れ、こと日本では南蛮美術や初期洋風画の成立をみた。この南蛮屏風をめぐる研究は、1990年代以降大きく変化している。南蛮美術は従来の日本美術史の枠組では、近世初期に流行した特殊なジャンルとみなされる傾向にあった。しかし近年は、西洋史上の「発見の時代」(15世紀初頭から18世紀)におけるキリスト教美術の世界的伝播や、西洋美術と進出先の地域の美術工芸との混交といった事象が、特に海外の研究者の間で議論されており、その文脈の上で南蛮美術もとらえなおされている。この問題意識を反映した展覧会も次々と開催されている(Encompassing the Globe: Portugal and the World in the 16th and 17th Centuries, 2007;

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