鹿島美術研究 年報第36号
127/150

らの考察は少ない。2008~2010年に開催されたカンディンスキーの大回顧展でも、画家とロシア・イコンについての研究はなされなかった。確かにロングやヴァイス、西田、有川らが、画家の抽象成立期においてモティーフの単純化を読み解く過程で聖人やトロイカ等ロシア特有のモティーフを導き出し成果を挙げてきた。ただ、こうした従来の研究の中心をなす主題解釈、精神的背景を論じる方法だけでは、彼独自の絵画空間の現出や幾何学形態使用等の解釈が不可能であり、作品の比較検討・分析が不可欠である。とはいえ、画家の作品が音楽と関連づけられたり、深い精神性を伴うと評されたりしてきた以上、単なる造形上の比較・分析だけでは画家の意図も人々の作品受容も解明しえない。同時代のロシアの画家たちが抽象絵画を「現代のイコン」に準えていたことも興味深い点である。こうしたまなざしは少なからず20世紀美術の前提となる19世紀ロシアの宗教画のあり方や移動派を中心とした社会派リアリズム、唯美主義的象徴主義の絵画との関連があるはずである。実際、カンディンスキーが30歳までを過ごした19世紀後半のロシアでは社会派のリアリズムが盛んである一方、やがて印象主義、象徴主義が仏よりもち込まれた時代であった。この時代の芸術観を引きずるカンディンスキーにとって、フォーヴィスムやキュビスムに関心を抱きつつも、若い世代の画家と違って唯物的に映る新しい美術様式をそのまま受け入れることは難しかった。前衛を自認し、抽象絵画創出をめざす彼にとって、いかに描くのかと同様、内容も蔑ろにできなかったのである。彼にとってキリスト教やロマンティックなお伽噺は、抽象が装飾とイコールとはならない重要な要素であった。そしていかに受け入れられるかも大きな課題であった。その点でも移動派は重要である。彼らは社会変革を唱え、ロシア各地で移動展覧会を開き、芸術とは無縁の民衆に絵画による啓蒙を試みたグループである。格差社会や社会の不合理、革命家を主題に据える一方で、彼らはまた、全く新しい宗教画を生み出して人々の感情にストレートに訴えかけた。絵画で民衆に寄り添い、少しずつでも民衆を教化しようとした態度は、感情への働きかけを重視したカンディンスキーと繋がるものである。彼は宗教美術を下敷きにしながら、より広範囲の、キリスト教とは無縁の人々にも何らかのイメージを喚起させるような絵画を、19世紀の様式ではなく20世紀の全く新しい技法、即ち抽象で表現しようとした。以上より、本調査研究はテュルレマン以降の造形面に力点を置く近年の研究と、従―112―

元のページ  ../index.html#127

このブックを見る