鹿島美術研究 年報第36号
129/150

1957年のミシェル・タピエの来日による「アンフォルメル旋風」など、表現主義的な抽象美術の受容については研究が進んでいるが、幾何学抽象の動向については十分とはいえない。堀内という日本の幾何学抽象の黎明期を支えた作家に注目し、また1950年代ブラジルという新しい視点を参照するが、その狙いは以下の通りである。The Reconfigured Spectator in Mid-Twentieth- Century Latin American Art, University of Chicago Press, 2017. で論じたように、冷戦下における文化的「武器」であった抽象表現の伝播とコロニアリズムの観点から、欧米圏で戦後ブラジル美術に注目が集まり、リジア・クラーク(MoMA、2014年)、エリオ・オイチシカ(ホイットニー美術館、2017年)の展覧会、マリオ・ペドロサ批評選集の刊行 Mario Pedrosa, Primary Documents, MoMA, 2016など急速に研究が深化している。とりわけ注目を集めているのは旧植民地の近代化に幾何学抽象が果たした役割であり、政府指導のもと美術教育でモダンアートが積極的に取り入れられたブラジルでは、合理的で主知主義に基づく幾何学抽象が隆盛したことだ。そしてこのコンクレティスモ運動(concretismo)の立役者が1956年に日本に来日していた批評家マリオ・ペドロサであり、第4回ビエンナーレには、ブラジルの幾何学抽象作家が出品したのみならず、鉄の構成彫刻家スペインのホルヘ・オテイザ(Jorge Oteiza)が彫刻部門の大賞を受賞するなど幾何学への傾向が顕著に表れていた。堀内正和をはじめ、彼らは活動拠点も作家としての背景もまったく異なるにもかかわらず、幾何学抽象という様式で共鳴し合う国際的同時代性をもっていた。このようなことから、堀内作品も、グローバルな抽象美術の動向の中で解釈されるべきだと考えられる。―114―そもそも、ブラジルは長く植民地であったが、戦後冷戦を背景にアメリカの支援で近代美術館(1948-)やビエンナーレ(1951-)が誕生し、短期間のうちに美術の制度や表現が近代化した。美術史家アレクサンダー・アルベロが Abstraction in Reverse: 日本でも『ブラジル・ボディノスタルジア』(東京国立近代美術館、2004年)を筆頭に、都留ドゥヴォー恵美里『日系ブラジル人芸術と〈食人〉の思想』(三元社、2017年)で1950-60年代の日本とブラジルの抽象美術作家の交流が明らかにされるなど研究は新たな側面を迎えている。このように、これまで先行研究の少ない1950年代の幾何学抽象に注目することは翻って、表現主義的な美術動向に新しい視点をあたえるものになるだろう。加えて、批評家間の国際交流の一端を明らかにする本研究は、戦後日本美術の歴史的事実を初めて明らかにするものであり、欧米で進むグローバ

元のページ  ../index.html#129

このブックを見る