鹿島美術研究 年報第36号
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2.陸信忠筆「仏涅槃図」に関する研究大阪大学大学院文学研究科招へい研究員高志本作品に関する先行研究では、ローマ・カトリック教会の勝利を意味する「聖母被昇天」という天井画の主題との関連から、カトリック陣営の画家としてのコレッジョ像が提示されてきた。しかしながら本調査研究に基づくと、外陣の観者(=一般信徒)はイメージを契機として、その地点では隠された状態にあるキリスト像や天上世界をめぐる私的な観想へと促される。この効果に留意すれば、そこには、北方における宗教改革の動きを背景として、聖職者や教会組織による媒介を重視せず、神と個人とのより直接的な交流を求めたカトリック改革派の思想との近似が指摘できる。コレッジョの優美な芸術は、通常言われるように観る者の感覚を歓ばせるだけでなく、彼の宗教性や独特の思想の結実である。ルネサンス宗教美術と芸術家の創意との関係を考える重要な鍵のひとつがここにあるように思われる。陸信忠筆「仏涅槃図」(奈良国立博物館所蔵、南宋時代・13世紀、重要文化財、以下本図)は、入念かつ色鮮やかな絵画表現が印象的な南宋仏画の優品である。陸信忠銘をもつ作品には他に十王図や十六羅漢図が知られるが、現存する涅槃図は本図一点のみである。先行研究では、釈迦を取り囲む仏弟子の表情やしぐさが諧謔味を帯びた異様な表現とみなされ、沙羅双樹を極楽浄土の七層の宝樹に表す点などから、本図を明時代以降に描かれた祝祭的雰囲気をたたえる涅槃表現の嚆矢と位置付けられてきた。しかし、北宋や遼代に制作された墓室壁画、また石窟や舎利容器などの浮彫として表される涅槃相に改めて注目すると、本図と図像的に近似する作品が見られ、涅槃図に限らず南宋時代に儀礼の本尊画像として制作された他の仏画に目を向けると、左右対称性を意識した構図的に近い作品が散見される。また、本図に描かれたモチーフは、北宋時代に整えられたと考えられる涅槃儀礼の次第や涅槃経典の注釈書『涅槃経後分』の記述と比較しうるものである。さらに、本図に描かれる釈迦の涅槃を見守る参集が少ない点については、自慶編『増修教苑清規』(至正七年・1347)が参考となる。寧波の市街地に位置する有力な天台寺院、延慶寺の涅槃会における堂内荘厳の記述があ―21―緑

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