鹿島美術研究 年報第36号
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3.ピカソの1920年代初期の裸婦画、人物画に見るメランコリー―身振りと意味をめぐる問題―り、法堂に涅槃仏像を安置し、その左右には涅槃会に結集した諸法蔵、諸菩薩僧、諸縁覚僧、諸声聞僧の四つの位牌を並べたとされる。すなわち、本図の他に、一具となる位牌あるいは絵画で他の参集が表された可能性がある。なお、この涅槃会の尊像構成は、当該地域で行われていた施食儀礼の一種である水陸会のそれに一致し、興味深い。本発表では、特異とされる図像の源泉が中原や北方地域で出土した北宋・遼の墓室壁画や、石窟、舎利容器に見られる浮彫の涅槃相に求められることを指摘し、他の南宋仏画の絵画表現や『涅槃経後分』の記述にも着目しながら、本図が伝統的あるいは同時代的な図像を引用しつつ当世の儀礼の本尊に相応しい形に再構成された涅槃図である可能性を指摘する。この研究により、南宋仏画の成り立ちや、市井の仏画師とされる陸信忠を見直すことができればと考える。成城大学大学院文学研究科博士課程後期、実践女子大学非常勤講師―22―塚田美香子1920年代のパブロ・ピカソ(1881-1973)は古典美を求めて調和や均衡のとれた画面を構成し、壮大で穏やかな様式を確立している。彼はイタリア旅行(1917年)やイギリス旅行(1919年)を通して、古代ギリシア・ローマ彫刻やイタリア・ルネサンス美術、フランス古典主義、新古典主義の絵画などからインスピレーションを受けて、豊かな造形創作をおこなった。ピカソの「古典主義時代」あるいは「新古典主義時代」と称されるこの時期に創造された人物や裸婦は、以前より一層写実的になったが、どこか憂鬱そうでメランコリックな雰囲気を漂わせているとされる。だが、先行研究はメランコリーの発想や着想源に言及するものの、詳細には論じられず論拠を示すものは少ない。しかも、そのメランコリックな雰囲気というのも、その身振りなのか、それとも顔の表情なのかの区別が曖昧である。本発表は、この時期のピカソの人物作品を具体的に取り上げて、その身体表現に見られる伝統的なメランコリーの「頬杖をつく」図像の形態引用

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