鹿島美術研究 年報第36号
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と身振りの意味作用の関係を明らかにしようとするものである。まず、アルフレッド・H・バー・Jr.らがメランコリーだと指摘したピカソの裸婦と人物作品の着想源や、頬杖をつく図像の導入過程を分析する。その導入に至る要因には、詩人で友人のギョーム・アポリネールがピカソに与えた助言が影響していると思われる。アポリネールのアドヴァイスを具現化するために古代美術などから見出した「頬杖をつく」図像は《座る2人の裸婦》(1920年、ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館)に採択され、その後、妻のオルガを描いた《想いに沈むオルガ》(1923年、ピカソ美術館、パリ)にも再採用されている。しかし、両作品の身振りは同じ頬杖をつくものでもその意味には差異があると思われる。サルヴァトーレ・セッティスは、古代以来の伝統的なメランコリーの図像について分析した論考において、シニフィアン(意味するもの、記号表現)としての身振りと、シニフィエ(意味されるもの、記号内容)としてのメランコリーという意味の乖離について指摘している。発表者は、このセッティスの論考を参照し、ピカソがこの時期に導入したメランコリーの身振りもこれまで言われてきたように、一様に「メランコリック」な意味を持つものはなく、しかしその形態と意味内容が完全に乖離しているわけでもないことを作品制作の文脈に即して具体的に指摘する。ピカソの場合、伝統的な図像の受容は特に古典的主義的な時期に顕著になるが、その意味はモダン・アートの画家としての個人的文脈と絡み合い、シニフィアンとシニフィエの間で揺らいでいると考えられる。―23―

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