鹿島美術研究 年報第36号
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⑤「彦火々出見尊絵巻」と「八幡縁起絵巻」の関係について苫名花と和様の花とが比較いけばな史の角度からとらえられ、鈴木栄子氏の研究により、中国古代の挿花文化における文人趣味と日本のいけばなとの関係が考察されている。この類の著作は全ていけばなに関する研究であり、大きな特徴の一つは、古代中国における挿花文化を考察対象に入れ、日中両国の文化交流史の中で花器が花に付随する形で検討される、というところにある。本研究では、中国における挿花文化の伝統を整理しつつ、文献と作品の分析を通じて花器の造形性に関して再検討していきたい。花器からみれば、古代中国において花を器の中に生けるという行いは、時代の変化と共に、宗教儀礼から個人の感情を表す嗜みの一環となっていった過程が非常に明瞭に分かってくる。また、花器の器形の変化は、時代的な特徴があり、当時の建築様式や時代の好み、そして美学意識などの間に、密接な関係があると考えられる。花器の伝統と系譜の整理を通して、時代ごとの挿花文化の特徴を分析し、当時の歴史背景の下に、如何なる材質と形の花器が用いられ、どのような花が生けられており、またそこから反映された好みや美意識が当時における大きな思想の流れと何か関係があるか、について再検討していく。意義第一に、本研究はこれまで日本であまり渉猟されていない中国の伝統花器に光を当てるものであり、本格的な中国古代における花器研究となる。第二に、比較文化史の面からみれば、中世日本において、長らく中国に滞在した帰国僧たちが大陸の挿花文化を日本に請来したが、それは寺院における供花だけではなく、宋元時代の文人趣味の挿花をも含んでいたと考えられる。中国における花器使用の歴史と流れから日中両国の挿花文化史を探り、その中から時代ごとに花器に対する認識の変化を考え、中国だけではなく、日本における花器と挿花文化史の研究についても、一層の厚みをもたらすことができると考えている。研究者:大阪大谷大学文学部専任講師本調査研究の直接的な目的は、「彦火々出見尊絵巻」と「八幡縁起絵巻」の関係を明らかにし、中世に遡る「彦火々出見尊絵巻」の現存作例が知られない一方で「八幡縁起絵巻」の作例が多く遺されていることの理由や、「八幡縁起絵巻」成立の過程を―32―悠

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