⑥高松次郎研究―アメリカのコンセプチュアル・アートとの比較から―・ 梅津次郎「吉備大臣絵をめぐる覚え書き──若狭所伝の三つの絵巻──」(同『絵巻物叢考』中央・加藤悦子「「春日権現験記絵巻」研究」(『美術史』130号、1991年)り、「彦火々出見尊絵巻」をより適切に美術史上に位置付けることが期待される。【参考文献】・ 源豊宗「彦火々出見尊絵」(同『大和絵の研究』角川書店、1976年、初出は『関西学院大学文学部研究者:東京藝術大学教育研究助手本研究の目的は、戦後日本の代表的な芸術家の一人である高松次郎の1960年代及び70年代の諸作品と、アメリカのコンセプチュアル・アートとの比較検討を通じて、高松の独自性に関する新たな視座を提示することにある。日本における高松研究は、一時代を席巻したその作家の名声に相応しい蓄積があり、また近年では海外においても、必ずしも戦後日本の前衛やもの派との関わりにおける高松次郎ではなく、彼の独自性に目が向けられ始めておりその世界的な重要性が高まりつつある。これまでの高松次郎の独自性に光を当てた研究は、彼の哲学的な示唆に富むテクストと作品の形式的特徴との関連性から試みられたものが多数を占める。対して、コンセプチュアルな作品を多く制作している高松の作品と、戦後の日本に対して多大な影響を与えたアメリカの現代美術─本研究においてはコンセプチュアル・アート─との比較による研究はきわめてわずかである。また、その比較研究は、高松の《日本語の文字》や《英語の単語》といった文字作品とジョセフ・コスースの初期の文字作品との関連性の指摘、あるいは高松の《THE STORY》とメル・ボックナーのゼロックスコピーによる作品やセス・ジーゲローブが企画した「ゼロックス・ブック」展との関連性の指摘に留まるものであり、これまで必ずしも十分に進展してきたわけではない。高松の作品とアメリカのコンセプチュアル・アートとのさらなる比較検討を通じて、両者は形式上類似もしくは酷似している一方で、内容の上ではむしろ異なり対照的であるということを明らかにできるのではないだろうか。本研究はこのような構想のもとにある。ここではその一端を示してみたい。例えば、高松の幾つかあるゼロックスコピーによる作品の中で《ゼロックスで100記念論文集』1959年)公論美術出版、1968年、初出は『美術研究』235号、1965年)―34―大澤慶久
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