⑦静岡県河津町・南禅寺の平安時代仏像群について―尊像構成からみたその性格―枚コピーされたうちのこの1枚》というものがある。この作品は、「できる限り多くコピーしていくこと」と記された《この原稿をゼロックスすること》と関連するものであり、ソル・ルウィットやジョセフ・コスースなどの作品にみられる指示書/作品という点において、両者の間に同一の構造を認めることができる。しかしながら一方で、ルウィットやコスースらの指示書/作品関係における作品は一つの指示書のもと限りなく複製可能であるという視座に立つものであるのに対し、高松の指示書に対する作品は「100枚」そして「この1枚」という限定が強調されており、両者は形式上類似しているが内容上対照的なのである。高松は彼らの作品の形式を借用しながら真逆の内容を提示することによって、広く流布したオリジナル/複製問題に対するアンチテーゼを示しているようにも思われる。本作のこのようなアイロニカルな面白さは、高松のテクストに立脚するだけでなく、両者の比較を通じて明らかになるものであると言ってよい。本研究ではこのように、高松次郎の諸作品とアメリカのコンセプチュアル・アートとを比較検討し、両者の形式上の類似性と内容上の対照性や相違性を明らかにしてゆく。そしてそれによって高松の独自性に関する新たな視座を提示する。さらにはより俯瞰的な視点に立ち、彼の独自性が一面において日本とアメリカの現代美術の文脈の違いに関連していることを示したい。研究者:上原美術館主任学芸員田島意義・価値河津町谷津の南禅寺には、26体の仏像と22の残欠からなる平安仏群が伝来している。本群像は早くから注目を集め、既に先学の詳細な研究や報告があるが、それらの研究は仏像群を構成する主要な仏像を個々に紹介、考察するに留まり、群像全体としての性格を明らかにしたものはない。さらに、南禅寺の主要な像は9~10世紀初めにさかのぼると目され、かつ造形的に優れたものだが、このような像が伊豆南部に集中して存在する理由についても、従来、明らかにされていない。本研究では、個々の像の検討に加えて、群像というまとまり自体に着目、南禅寺から各地に流出した仏像の―35―整
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