鹿島美術研究 年報第36号
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⑩太田喜二郎の研究いる。本研究は彼の画業の初期にあたる「青の時代」を対象とすることで、「バラ色の時代」「キュビスムの時代」など、1904年以降の制作を対象とした研究においても応用が期待できる。2.国内における科学調査の活性化欧米の研究機関における最先端の科学調査の方法を学び、国内での同様の調査の実施について可能性を探りたい。また、本研究において成果を挙げることで、美術作品の科学調査に対する興味や関心が高まり、同様の研究のさらなる普及と進展を促したい。研究者:京都文化博物館学芸員太田喜二郎関連資料(絵画、日記、書簡、写真、蔵書、茶道具など)は、明治末期から大正期・昭和前期にかけての美術、考古学、建築学、東洋史、茶道などに関する幅広い資料群である。これを整理することの意義を列記する。まず、近代日本にとってのベルギーとの関係を再検討することができる。太田の蔵書には洋書、洋雑誌なども多く含まれており、またベルギー留学中の日記も含まれている。次に、文展、帝展といった官展において京都洋画界をリードした太田喜二郎の資料を通して、官展洋画アカデミズムの見直しをすることができる。太田喜二郎は、京都洋画のさまざまなグループで中心となり、幹事をしており、関連資料も多数残っている。あるいは、関西パステル画協会や戦中期の京都洋画家連盟の詳細資料なども、重要である。さらには、京都帝国大学を中心とした画家・研究者・知識人ネットワークによる、考古学、建築学、東洋史、茶道に関する資料群を整理することで、当時の学際的な交流の様相や、相互関係を明らかにすることができる。例えば、美学美術史ならば須田国太郎、深田康算、考古学ならば濱田耕作、清野謙次と交流があり、建築学では武田五一、藤井厚二と親しかった。東洋史の羽田亨は太田を京都帝国大学に引き入れたキーパーソンと考えられ、内藤湖南とも交友がある。また、野村徳七(得庵)とも茶道を通じて交流があった。―40―植田彩芳子

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