⑫渡辺始興の仏画制作に関する研究③ 近代漆芸史研究の困難は、パブリックコレクションの作品の少なさである。そもそも、日本の地方美術館の多くは、「美術」制度批判がなされる以前の80年代に立て続けに開館し、開館時に絵画中心、西洋中心主義的な収集方針を打ち立てた。後に加えて郷土ゆかりの美術の調査が進められたが、これらの収集活動から漏れ落ちたのが近代の彫刻・工芸分野であったといえる。また、工芸は明治大正期に展覧会、批評制度に十分に組み込まれなかったために、絵画のように年紀、作家が明らかな作品が多くないことも、作品収集を難しくしてきた。これが、近代美術史研究の中心を担ってきた美術館での展覧会、研究活動の対象に、工芸が組み込まれず、その研究が滞ってきた一要因である。本研究は、文献研究を重点的に行い、展覧会や美術館活動では取り組みが困難な研究領域を補い、近代美術史研究の欠落を埋めようとするところに意義がある。漆絵の出品を試みた。また、戦前期に漆の作家、研究者、問屋の一大サークルとして機能した日本漆工会においては、1911年より若い漆芸家の啓蒙のため、漆芸家赤塚自得が洋画家小山正太郎を招いて写生画講座を開いている。六角、赤塚はそれぞれ東京美術学校や白馬会洋画研究所で絵画を学んだ、当時珍しい「描ける漆芸家」であり、彼らが漆芸界の改革のために試みたのが上記の活動であった。ここに技術家としての漆芸家を忌避し、画家であること/絵が描けることを重視し始める価値観の萌芽がみられ、またこの価値観は、帝展工芸部で大型平面作品が流行をみせる1927年頃には支配的なものとなっていたと考えられる。工芸制作における図案の改良が、明治期より画家や有識者によって唱えられてきたことは古くから指摘されてきたが、本研究では、技巧力の重視から図案/個性の重視へと、実制作者(職人/作家)の意識が段階的に変化していく過程を明らかにしようとするところに価値がある。研究者:神戸大学大学院人文学研究科博士課程後期課程本研究は、江戸時代中期の画家である渡辺始興(1683-1755)の絵画、中でも仏画制作について明らかにしようとするものである。始興は狩野派の画法を基礎に持ちつつも「春日権現験記」や「後三年絵巻」などの古画を模写したり、琳派の技法を取り―42―上嶋悟史
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