⑭1980年代欧米主要現代美術画廊展覧会に関する調査研究析の関係を明確な形で捉え直す点にある。別の言い方をすれば、デ・キリコの作品を精神分析によって解釈するのではなく、両者を同時代的現象として関係づける点に本研究の意義がある。美術史に精神分析が応用される場合、基本的に精神分析という理論の枠組みに画家なり作品なりを当てはめるというアプローチが取られがちである。無論、それが有効なケースも多々あるだろうが、そこでは往々にして、精神分析自体の歴史性が看過されることになるだろう。そもそも精神分析が、歴史的観点を捨象したところに成立している理論体系であることを考慮に入れれば、それも仕方のないことかもしれない。だが一方で、精神分析を歴史的事象として捉える観点も当然成立しうるはずである。本研究は、こうした観点を取る。つまりショーペンハウアー、ニーチェ、フロイトの思想的系譜とデ・キリコの作品を、同じ歴史のなかの事象として捉えるのである。こうしたアプローチは、美術史と精神分析の関係を再考するという点からも意味あるものではないか。構想筆者はこれまでの研究において、デ・キリコの理論を詳細に考察し、そこから、デ・キリコの作品を解釈してきた。現時点において、本研究を通して、筆者が明らかにできると期待しているのは、デ・キリコ作品における①欲望の有り様、②オイディプス的問題の有り様である。デ・キリコはショーペンハウアーとニーチェの思想を独自のやり方で組み合わせているが、両者、そしてフロイトに通底するのが欲望の問題である。デ・キリコにおいては、ショーペンハウアーにおける欲望(意志)の否定とニーチェにおける欲望(力への意志)の肯定が混濁した形で表現されており、それがフロイトの精神分析との親和性に結びついていると考えられる。また、デ・キリコはその夢の記述のなかでオイディプス的葛藤をはからずも吐露しているが、この父殺しのコンプレックスが、デ・キリコにおいてはニーチェ的な「神の死」の問題と結びついているのではないかと筆者は考えている。研究者: 秋田公立美術大学助手、 早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程目的・意義・価値本研究の目的は、1980年代に現れた美術動向の特徴と傾向を今日的な視点から見直―45―岡添瑠子
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