鹿島美術研究 年報第36号
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⑮北村西望作《平和祈念像》にみる記念碑の戦後を把握し、アートワールドの状況を含め、様々な趨勢の背景に横たわる文脈を考察することが重要である。これにより、現在の美術がどのような議論や葛藤を経て展開したかを考察する手がかりを与え得るはずである。構想かんらん舎で展覧会をおこなった作家と関連の深い欧米の現代美術画廊や美術機関(主にイギリス、アメリカ、ドイツ、フランス)について、資料がおよぶ範囲である1985年から1992年に開催された展覧会をリスト化し、作家やコレクター、美術館とどのようなネットワークを築いていたか、その役割や影響について考察する。とりわけ、ロンドンとパリは1980年代後半以降、ニューヨークやベルリンと並んで現代美術の拠点となった重要な場所であるにもかかわらず、これまで画廊での取り組みに焦点を当てた研究がなされていない。本研究では、どのような経緯で美術運動を見出し、支援をおこなったのか、また展覧会は同時代の鑑賞者にどのような反応をもたらしたかについてもあきらかにする。研究者: 東京文化財研究所アソシエイトフェロー、 成城大学大学院文学研究科博士課程後期本研究では、北村西望作《平和祈念像》の研究を通し、戦後の記念碑がどのように展開したのか長崎市の観光行政を考慮しながら考察する。これまで他の研究者が触れてこなかった取り組みは、《平和祈念像》がどのように経済活動に関わり、原爆で傷ついた長崎の復興に作用したかを考察することである。これまで日本近代彫刻史では、明治期から太平洋戦争終戦までの作品や作家について語ることが多かった。その時期の記念碑は、日本政府や軍の意向を反映しているものが多く、国民への愛国心や戦意高揚を促す役割があった。しかし、本作をはじめとする戦後の記念碑は、「日本国憲法下の民主主義」の中で制作され、人々に受け入れられていった。つまり、明治から太平洋戦争終戦まで記念碑の方向性を握っていた権力の在処が戦後は大きく変わったのではないかと考える。よって、誰が何のために、誰にメッセージを作用させたくて記念碑を制作したのか整理をし直す必要がある。そこで一つの指標として、「中央」「地方」共に経済を大きく動かし、敗戦から日本経済大国になるために必要であ―47―野城今日子

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