鹿島美術研究 年報第36号
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⑰川崎美術館と神戸川崎男爵家コレクションに関する研究研究者:神戸市立博物館学芸員石沢本研究は、神戸ゆかりの実業家・川崎正蔵が建設した日本初の私立美術館「川崎美術館」と同館で展示された神戸川崎男爵家コレクションを対象として、文献資料と旧蔵作品の調査研究を行うことで、その美術史上の意義を明らかにすることを目的としている。明治23年9月6日、神戸市布引の川崎邸内に開館した川崎美術館では、年に一度、一ヶ月程度の期間で神戸川崎男爵家コレクションが展示されていた。川崎が収集した東洋美術の名品が一般に公開されていたことは、現在ではほぼ忘れられており、研究者にもほとんど知られていない。そのことは、大正6年に開館した大倉集古館が日本初の私立美術館として認知されていることからもうかがえる。しかしながら、明治中期の神戸において、当代きっての東洋美術コレクションを川崎正蔵が形成し、川崎美術館で公開されてきたことは、美術史上で看過できない重要なことである。日本の近代化を実業家として支えた川崎は、本業で得た莫大な財産をもとに、古美術品の収集に没頭した。美術品の海外流出を憂いて収集した優品の数々は、川崎が独りで秘玩するものではなく、美術館で広く公開すべきものという信念を持っていた。川崎美術館が神戸市内外の来館者に東洋美術の名品を鑑賞する機会をもたらし、美術鑑賞の定着をはかった意義はきわめて大きい。さらに、川崎は岡倉覚三やフェノロサ等の美術史研究者に収集品を公開し、美術史研究の進展を願っていた。本研究は、川崎美術館と神戸川崎男爵家コレクションに光を当て、再評価することで、日本美術史上に適切に位置づけること、ひいては、川崎が抱いた美術館とコレクションへの信念と熱意を多くの方に伝える点で、きわめて重要な意義があると筆者は考えている。さらに、日本の私立美術館の嚆矢が神戸で築かれたことは、その後の神戸における美術館・博物館の開館を考える上で、大きな意味を持つ。昭和9年に白鶴酒造7代目・嘉納治兵衛が開館した白鶴美術館、昭和15年に近世異国趣味美術収集家・池長孟が開館した池長美術館、昭和48年に朝日新聞社・村山龍平の収蔵品をもとに開館した香雪美術館、昭和57年に池長孟コレクションを継承して開館した神戸市立博物館と、現代に至る神戸の美術館・博物館の系譜は川崎美術館に始まるといってよい。その上、本研究は単に川崎正蔵についての美術史研究を進展させるものではなく、―50―俊

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