鹿島美術研究 年報第36号
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⑳榮山寺八角堂内陣飛貫にみられる騎獅菩薩について式の展開を考察することを試みる。さらには、データベースの検索の精度を上げ、後には画像へのリンクを貼りつける等の便宜性を図り、一般公開に向けたシステムの構築を目指す。研究者:奈良国立博物館アソシエイトフェロー本研究の目的は、奈良時代にさかのぼる絵画作例である榮山寺八角堂内陣装飾画のうち、飛貫に描かれている獅子に乗る菩薩について、その絵画史上の位置づけを検討することにある。このことは、装飾画全体の制作背景を考察する際の鍵になるものと思われる。奈良県五條市に現存する榮山寺八角堂は、8世紀後半、時の権力者藤原仲麻呂が、亡き父母のために建立したとされる。内陣は方一間の正方形を呈し、4本の内陣柱と、隣り合う内陣柱どうしをつなぐ4本の飛貫、その上に置かれた100の格間からなる格天井には、多くの装飾画が残されている。剥落が進んでいるとはいえ、柱の供養菩薩、飛貫の宝相華や騎獅菩薩、迦陵頻伽、神仙、天人や鳥、そして天井の各格間にあらわされた団花形式の宝相華など、装飾画はいずれもみごとなできばえを示す。さらに『正倉院文書』にみえる「造円堂所牒」が本八角堂に関わるものと考えられることから、その造営には造東大寺司が関与したこともうかがわれる。本装飾画は、数少ない奈良時代の絵画であるとともに、仲麻呂が権勢を奮って制作した第一級の作例として、まことに貴重であるといえよう。そのなかで特に注目したいのが、東飛貫下面の南北に一軀ずつ描かれている獅子に乗る菩薩形である。獅子に乗る菩薩といえば、象に乗る普賢菩薩と組み合わされた文殊菩薩が想起されるが、先行研究ではこれらの菩薩について、二軀ともに騎獅像である点からは文殊菩薩とは定めがたいとして、唐代の碑側にあらわされた例のような装飾的な図様であるとしている。確かに、装飾画中の像がいずれも特定の尊格を示しているわけではないとみられるなか、飛貫のこの箇所にのみ、具体的な尊名をもつ菩薩が配されることは考えにくいだろう。ところが、その像容は、明らかに唐代の敦煌莫高窟壁画にみられる騎獅文殊菩薩と類似している。同時代の国内における比較作例が非常に少ない上代の絵画にとって―54―萩谷みどり

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