鹿島美術研究 年報第36号
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神田日勝のイメージ形成過程に関する研究は、中国中央における絵画の動向を反映しているとされる敦煌莫高窟壁画はぜひとも参照すべき作例であり、そこには初唐以降、騎象普賢菩薩とともに騎獅文殊菩薩が盛んに描かれているのである。そして榮山寺の例は、正面向きに近い構図や獅子の装飾的なたてがみの表現などにおいて、莫高窟壁画のなかで、初期から変化した盛唐期の作例に非常に近いことがみてとれる。すなわち、文殊菩薩として描く意識がなかったとしても、当時としては最新ともいえる騎獅文殊菩薩の図様が日本にもたらされており、それが参照された可能性がある。そうであるならば、その図様の伝来経緯や時期を考えることによって、本装飾画全体の制作背景の一端を明らかにすることができるはずである。このようなことから、莫高窟壁画など中国の作品を含む諸例との比較によって、本作例の絵画史上における位置づけについて考察していきたい。ところで、日本における騎獅文殊菩薩の記録に残る最も早い例は、貞観3年(861)に円仁によって発願された比叡山文殊楼院のものであるとされる。それをおよそ100年さかのぼる時期に描かれた本作例の意義は大きい。また、中国五臺山における文殊信仰の高まりによって普及したとみられる騎獅文殊菩薩の図様が、中国の西陲の地である敦煌と、遠く海を越えた日本とに、ほぼ時を同じくして伝わっていることは、図様の伝播という事象を考えるうえでも非常に興味深い例であるといえよう。研究者:神田日勝記念美術館学芸員意義本調査研究は、神田日勝の画業の全貌を明らかにし、美術史上に定位することが目論まれている。先行研究においても、神田日勝のスクラップ・ブックが調査され、具体的には、鈴木正實氏がスクラップ・ブック(前頁①のスクラップ・ブックA)の内容から同時代の画家からの影響に触れているが、部分的な言及にとどまり、いまだその全貌が明らかになったとはいえない。このスクラップ・ブックAには美術作品の図版が25点(24点は絵画、1点は彫刻)収録され、そのうち作品名・作家名いずれかの文字情報が印字もしくは記入されているのは11点のみである。鈴木のモノグラフには曹良奎(1928-?)やセザンヌら6名の画家が挙がっているが、具体的な作品の同定―スクラップ・ブックにおける図像源の調査を中心に―川岸真由子―55―

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