結果が示されたのは曹良奎と寺島春雄の油彩画2点であった(鈴木正實『ミュージアム新書④神田日勝─北辺のリアリスト』北海道新聞社、1984年)。鈴木はこの2名からの影響を指摘したが、本調査研究は、その試みを引き継いで完遂を目指すものである。なお、本調査研究のための環境について言えば、筆者は鹿追町立神田日勝記念美術館に勤務しているが、同館は神田の油彩画138点中89点を収蔵し、書簡や写真等の関連資料の収蔵にも努めている。さらに遺族(神田日勝夫人)との信頼関係においても、筆者は同館学芸員として「遺族が所管する資料」を調査できる環境にある。遺族が所管する資料の中でも、画家旧蔵品のスクラップ・ブックとデッサン帳は、長年遺族の元で保管されてきたが、ここ2年のうちに寄贈、貸出の機会が増えつつある。遺族が高齢になっていることも鑑み、調査研究のための環境が整いつつある現時点で、本調査研究を早急に実施する意義と必然性は大きいと考えられる。価値本調査研究の価値は、新たな画家像の構築にある。神田日勝芸術が初めて全国的に注目されたきっかけは、没後すぐの1971年に東京都内で開催された遺作展と、宗左近による論評「北辺の農民画家・神田日勝」(『時代 7』時代出版社、1971年)である。「夭折の農民画家」というイメージはここで定着し、《室内風景》(1970年、北海道立近代美術館蔵)が彼のリアリズムの集大成として位置付けられた。近年も『日本美術全集 第19巻 拡張する戦後の美術(戦後~1995)』(小学館、2015年)に本作が掲載されたが、そこでも「日常生活の中で眼にした」光景を「理想化することなくありのままに描いている」と解説され、「人と作品」を密接に結び付ける作品観が今なお強く残る。確かに《室内風景》(1970年、北海道立近代美術館蔵)は、長らく当時の農家の生活風景(寒季の目張り)に着想を得て生み出されたと考えられてきた。しかしながら神田日勝記念美術館は2002年に先行する絵画の存在を指摘し、2018年には当該の作品、海老原暎(1942- )の油彩画《1969年3月30日》(1969年、作家蔵、第9回現代日本美術展出品作)を展示し、同作の図様(画面いっぱいに新聞紙面がだまし絵、コラージュのように描かれる)が、神田の《室内風景》の背景(壁)に取り入れられていることを比較展示によって示した。この裏付けとなる証言として、神田と同時代の画家から「神田日勝と一緒に本作の写真図版を美術雑誌で眼にした記憶がある」とい―56―
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