「チカノ壁画」における《物語り歌》の図像学風俗の中には、商業や交通に関わる生業者の姿もあり、往来のさまざまな様相は、〈旅〉への時代的関心の現れと捉えられる。第二の目的は、研究目的の第一で求めた名所風俗図にみる〈旅〉と〈信仰〉を端緒として、参詣曼荼羅、さらには街道図といった16世紀から17世紀にかけての景観絵画を複合的に論じることにより、その時代に横たわる普遍性を明らかにすることである。問題の中心とする「東海道往来図屛風」と静岡県美本「三保松原・厳島図屛風」のうち三保松原図は、いずれも富士山周辺の名所風俗図で、名所絵から近世街道図につながる作例と考えられる。しかし、描かれた景観と旅人の姿からは、それらの〈旅〉と〈信仰〉のありようが相違することが読み取れる。すなわち、16世紀中頃から後半の作とされる「東海道往来図屛風」は、全体下半分に興津宿辺りの街道の往来を描きつつ、第四~六扇上部には大きく富士山が表され、浜辺や舟上の人々がこれを仰ぎみている(=遥拝している)。つまり、本屏風における往来描写の背景には、富士山が象徴する〈信仰〉のイメージが強く残り、〈富士見参詣の旅〉が大きな意識としてあることがわる。一方、17世紀中頃の静岡県美本「三保松原・厳島図屛風」のうちの片隻、三保松原図は、他の遠山と変わらない大きさで富士山を描き、由比宿から府中宿までのより広範囲な東海道を捉えている。旅人の往来からは、彼らが行きかう〈道〉に対する意識が強調され、東海道図屛風への展開が如実にみてとれる。以上のように、往来する旅人の姿から名所風俗図を捉え直すことで、文芸だけでなく〈旅〉と〈信仰〉に彩られていく名所絵の変容を明示し、名所風俗図が聖地画像の周縁ともいえる位置にあることを確認するとともに、中でも〈旅〉への関心は、近世街道図への展開をもたらす高まりであること論じたい。本研究は、16世紀から17世紀における中近世景観絵画の特質を紐解いていこうとする新たな試みである。―東部ロサンゼルスに遺るコミュニティ壁画の歴史的変遷―研究者: 東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得満期退学 本研究の意義と価値は、1910年のメキシコ革命以降に隆盛したメキシコ壁画運動の技法・教育・精神を引き継ぐ「チカノ壁画」の図像解釈を通じ、美術史におけるスペ―58―新津厚子
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