鹿島美術研究 年報第36号
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イン語圏の視覚的民衆史、移民史の理解と、その発展に寄与することである。これまで大文字の歴史では取りこぼされてきた「民衆の記憶」を拾い集め、保存し、再生させる試みとして、美術史を多層的に発展させる意義がある。具体的には、これまでの先行研究で「社会主義リアリズム」としてのみ理解されてきた「メキシコ派」(The Mexican School)という芸術潮流の表現形式に《物語り歌(corrido:コリード)》という新たな独自の解釈枠を与えることが目指される。ここには芸術における「聖なるもの」と「俗なるもの」の二元化を問い直す目的も含まれている。《物語り歌》とは、本来はメキシコの民俗音楽の表現形式である。主に草の根民衆の立場から、19世紀の独立革命、20世紀メキシコ革命の出来事についての詩をバラード調で歌いあげるもので、現在でもメキシコや米国において麻薬についてのナルココリードを中心に流通している。その起源は、14世紀末から15世紀にかけて発生した、ロマンセと言われる民間伝承の物語詩にある。スペイン詩の一ジャンルで、吟遊詩人によって歌い継がれるとともに、抒情詩としての要素も加わり隆盛した。本研究では、民間伝承によって継承されてきた《物語り歌》の調べを、壁画批評に応用し、視覚的《物語り歌》としての「チカノ壁画」の理解を展開する。この点は、そもそも「チカノ」たちの表現が、音楽・壁画・版画・演劇・文学・ファッションを横断する構成的芸術であることからも、応用の意義と妥当性が指摘できる。本来は文字にならない民間伝承の表現が、地区の路上の壁画という視覚イメージに描かれ、継承されるという歴史的過程を記録に収めることは、様々な間や境界の中で、「今/ここ」を生きる民衆たちの日常の物語を収めることでもある。この視点は「メキシコ壁画」「チカノ壁画」のみならず、その他の壁画芸術批評にも応用可能であり、壁画という芸術メディアが備える「社会的記憶装置(語り部)」の特徴を強調する効果も期待できる。また「チカノ壁画」は、メキシコ壁画との連続性と断続性/共通点と差異点を明らかにする「境界」の芸術表現である。歴史を表象する両壁画の図像(アステカ神話の農耕と文化の神ケツァルコアトル、先住民と白人の混血性の象徴である、グアダルペの聖母、征服者エルナン・コルテスの通訳であったナワトル民族の女性マリンチェ、息子を失い泣いて大地に雨を降らすジョロナ:泣く女、トウモロコシ、サボテン、鷲、メキシコ革命時の闘士、公民権運動時の指導者)解釈や、作品構成を比較し、その作品読解を行うことで、模倣によってうまれる他者との「共」性や、距離や空間による―59―

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