鹿島美術研究 年報第36号
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初期女歌舞伎の変遷中心に―― 京都国立博物館蔵「阿国歌舞伎図」とMOA美術館蔵「清水寺遊楽図」を 真正性の議論の進展も期待しうる。被抑圧者の視点を含め、スペイン語圏の視点から、国家の枠組にとらわれない芸術表現の変容と複雑性を考察する一事例を提出できる。ラテンアメリカ美術史研究者の加藤薫(1949-2014)は、著作『メキシコ壁画運動─リベラ、オロスコ、シケイロス─』(現代図書、2003年)の中で、「壁画」を「絵画表現の最古の形式」(p.70)と述べている。洞窟壁画からはじまり、現代社会でも現存し制作される壁画は、旧くて新しい不動産芸術メディアである。本研究は、壁画というメディアの普遍的な特徴と、各時代や地域の特殊性を考察する事例と論考を提出するという意味においても、美術史的、文化人類学的に先進性および汎用性の高い内容である。研究者:早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程草創期の歌舞伎は、絵画史および芸能史の多くの研究から、阿国が創始し、その直後に遊女等によって模倣されて展開したという考え方が広く認められている。絵画や草紙類の分析から、阿国の芸は、「ややこ踊り」・「茶屋あそび」・「念仏踊り」等の演目があったと考えられ、遊女は阿国の「茶屋あそび」をまねた芸や、三味線を導入した楽器演奏や、大勢の遊女による総踊りを見せていたことが知られている。しかしながら、それぞれの演目や芸の種類が、いつ頃からなぜ発生してきたのか、また、それらは草創期歌舞伎の変遷の中にどのように位置づけられるのかという問題は検討されていない。本研究では、阿国歌舞伎を描いた作品の中でも古例とされる京都国立博物館蔵「阿国歌舞伎図屏風」と、二組の「茶屋あそび」が同一舞台に登場する珍しい芸態の遊女歌舞伎を描くMOA美術館蔵「清水寺遊楽図屏風」を取り上げ、上述の問題について考察する。京博本に描かれる「茶屋あそび」は、かぶき者が「風呂上がりのまなび」の扮装でポーズを取るが、阿国がこの芸態を始めたのは慶長9年末頃と以前に拙論で判断した。それでは、この芸態は阿国の芸歴の中でどのように位置づけられるのか、また、MOA本の遊女による「茶屋あそび」の芸態は、阿国のそれとどのように違う―60―舘野まりみ

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