1950年代から60年代における小磯良平の抽象表現についてると思われる。しかし、たとえ絵画制作ひとつとってしても、その制作行為の源泉が「美術」という枠組みにとどまるはずはないわけであり、絵画以外の諸知見の重層性をその制作者が「知識」として蓄えていることを所与として行われていることは、著述を多くした美術家の事例が少なからずあったことを考慮すれば、自明とも言えることである。そもそも美術作品の制作諸実践は、このような意味においてインターディシプリナリーな知性に基づいているのだ。わけても、須田国太郎は、本格的な美学・芸術学的著作を記したわけではないものの、そのキャリア形成において、自律した美学者としての側面も強く持っており、しかもその思想は、彼の絵画実践と緊密に結びついていると思われる。いわば須田は、「美学者・画家」というふたつの肩書を(須田本人は画家であることを本旨としたとはいえ)あわせ持つ、極めて稀有な存在であり、このような専門性の両立を明らかにすることで、悟性的ではなく感性的(つまりは前言語的)であると見做されがちである、芸術家の悟性的側面を、特殊例ではなく一般例として示す機会になり得ると思われる。また、哲学研究の領域においては成果の多い、京都学派についてのアプローチが、例えば美学や社会学の批評対象として例外的に言及の多い中井正一などは別としても、特定の美術家を通じて、美術史からの京都学派に対するアプローチが可能であるし、今後もより広範な課題となり得ることを提示する機会になると思われる。研究者:神戸市立小磯記念美術館学芸員小磯良平(1903-88年)は、優雅で親しみやすい美人画で人気を博した、日本を代表する洋画家である。優れたデッサンによる人物描写と、それらを実景にまとめあげる構想力は、東京美術学校在学中よりすでに注目を集めた。学生時代に帝展で特選を獲得し、美校を首席で卒業するなど、まさに小磯は洋画界の“優等生”にふさわしい技術の持ち主であった。そのためか、小磯芸術は、作品の醸し出す優雅な雰囲気とテクニックの点から評論されることが多く、研究対象として注目される機会がほとんどなかったものと思われる。作品一つひとつを取り上げて制作のエピソードが紹介されることはあっても、他作家との詳しい作品比較や影響関係の検証などが積極的になさ―62―高橋佳苗
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