河鍋暁斎と明治初期博覧会―幕末明治期の絵師と近代「美術」制度の関わり―れてこなかった。つまり、日本を代表する洋画家でありながら、日本の近代美術史における位置づけや存在意義という点から語られることが非常に少なかったのである。これまでの数少ない研究においては、小磯がヨーロッパに留学した経験から「日本の洋画に西洋美術の伝統を根付かせたい」という強い思いを得て、生涯にわたり西洋美術を熱心に探求し、自身の制作に反映させる試みを続けていたことがわかっている。特に小磯が好んだというドミニク・アングルやエドガー・ドガなどから想起されるように、小磯が主に西洋美術において影響を受けたのはクラシックな衣装に身を包んだ婦人やポーズをとる踊り子といった女性像であり、1930年代から40年代にかけての制作には、それらの表現を目指した試行錯誤の跡がうかがえる。本研究で取り上げるのは、そうした西洋美術との対峙の変遷の中でも、戦後の抽象的表現への傾倒の時代である。戦後の小磯作品における抽象的作風については、具象の世界に回帰する1970年代に至るまで、「実験的試み」として一括りで紹介されることが多く、これまで詳しく触れられることがなかった。また、この時期の作品はこれまで高く評価されておらず、注目する機会を与えられることもほとんどなかった。しかし、小磯の画業において、この時期ほど作品点数が充実し、新たな表現を生み出そうと苦心した活発な制作時期は存在しないと考える。本研究では、こうした考察を踏まえた上で、これまで発見されてきた小磯の旧蔵資料や書簡などを改めて整理する。また、同時期、小磯の同門の画家たちが純粋抽象へと歩みを進めていき評価されたこと、具象に対する前衛的な手法が画壇で圧倒的に受け入れられたことを検討して、その時の小磯が残した記録などをさらに分析していく必要もある。これらの調査を通して、いわゆる“抽象の時代”と呼ばれる時期の作品の魅力を紹介し、小磯の画業を広く解釈する上での新たな視点を提示することが、本研究の目的となる。そして、本研究は、戦後の日本の美術界がどのような動きを示していたかを明らかにする糸口のひとつにもなるだろう。研究者:九州歴史資料館学芸員日野綾子意義暁斎は、江戸時代に駿河台狩野家で絵画教育を受け、明治期になり狩野派が衰退しても、狩野派の絵師としての意識を持ち続けた希少な絵師である。その明治期―63―
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