鹿島美術研究 年報第36号
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19世紀の円山派研究―矢野夜潮を中心に―研究者:大阪大学大学院文学研究科博士後期課程目的・意義・価値本研究は、19世紀の円山派の画家矢野夜潮(1782-1828)の画業を明らかにし、美術史上に位置づけることを目的とし、第三世代の円山派の再評価を試みる。矢野夜潮は、名を正敏、字を仲観、夜潮のほか物集女と号した19世紀円山派の画家である。文化10年と文政5年の『平安人物志』に名が乗る画家であり、19世紀の京都画壇を彩った画家の一人と考えられる。応門十哲の一人である山口素絢の弟子とされ、『画乗要略』(天保13年刊)には、「写景に長ず」と記される。「先祖年忌帳」を典拠とする『京都市姓氏歴史人物大辞典』(角川書店、1997年)によれば、矢野家は「矢野長兵衛」を名乗る絵図師の家系であって、夜潮は二代目長兵衛(1736-1819)の次男として生まれ田中家の養子となった。「写景」を得意としたのはこのような来歴が関係していると予想される。これまで夜潮については、『京の絵師は百花繚乱─『平安人物志』にみる江戸時代の京都画壇』展図録(京都文化博物館、1998年)において田島達也氏が夜潮の略歴をまとめているが、夜潮の画業を明らかにするような研究はこれまで行われていない。『19世紀の京都画壇 第2巻 文化・文政期』(思文閣出版、1994年)は円山派から文人画家まで、文化・文政期の京都画壇を総覧した代表的な先行研究であり、上述の『京の絵師は百花繚乱』展は『平安人物志』に登場する画家を総集した画期的な展覧会であった。また、近年では、『天皇の美術史 第5巻 朝廷権威の復興と京都画壇』(吉川弘文館、2017年)において、19世紀の禁裏障壁画制作についての論考があるが、個別的な画家の研究は、18世紀のそれに比べると進んでいるとはいえない。また、大方の見解として、応挙以後の円山派は新たな展開を見せず形骸化していったとされ評価も低い。そのなかで、筆者は、夜潮の大作「高雄秋景・嵐山春景図屏風」(六曲一双・福田美術館開設準備室蔵)を見出したことをきっかけに夜潮の遺作を収集したところ、応挙や素絢ら円山派の画風を受け継ぎながらも、その範疇に収まらないユニークな作画を行っていることが徐々に明らかになってきた。本研究は、夜潮の画業を明らかにすると同時に、江戸時代後期における「絵画」と「絵図」に対する画家たちの認識や考え方、近世から近代にかけての画家のあり方の変化といった大きな視点にも言―67―波瀬山祥子

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