平福穂庵によるアイヌ絵についての研究―先行作例および同時代文人との関係を中心に―年、マンチェスター市立美術館)の制作中、子どもが自身の考える理想美を体現する存在であることを自覚していた。ミレイはその後、《初めての説教》(1863年、ロンドン、ギルドホール・アート・ギャラリー)を皮切りに、生涯にわたって多くの子どもを主題としたファンシー・ピクチャーを手がけたのである。以上のように、ミレイにとってファンシー・ピクチャーとは、子どもという自身の理想美を描くことに最適だったとともに、18世紀イギリス絵画の伝統の継承という、自らの芸術の革新でもあったのだろう。このようなことから、ミレイのファンシー・ピクチャーについて調査研究を行うことは、ミレイの同派脱退後作品の再評価において、重要な位置を占めるといえるだろう。なかでも、《長靴をはいた猫》や《あひるの子》にみられる、ある特定の物語を想起させるものの、画中にはそれと関連のない少女を描くという表現に着目することは、ミレイのファンシー・ピクチャーの新たな一面を明らかにできる画期的なものだと確信している。さらに、本研究課題に取り組むことは、ミレイについてだけでなく、ファンシー・ピクチャーという未だ明確な定義付けのなされていない曖昧なジャンルを包括的に捉えることへの一助ともなると考えている。その起源には、ルネサンスのヴェネツィア絵画や17世紀のオランダ風俗画、18世紀のフェート・ギャラントなどが指摘されているが、その背景はいまだ不明瞭である。なぜならばファンシー・ピクチャーは、遊ぶ子どもから乞食の老人、家事に従事するメイド、歴史的・文学的人物の肖像、さらには子どもの姿の聖人まで、非常に幅広い主題を包含するとされているためである。ミレイのファンシー・ピクチャーについて調査研究することは、このジャンルの定義付けに少なからず貢献できると考えている。研究者:秋田市立千秋美術館学芸員本研究は、平福穂庵(1844-90)が明治時代初期の北海道滞在を機に主題として取り組み、明治10年代後半に集中的に制作したアイヌのひとびとの風俗を描いた一連の「アイヌ絵」について、道内に現存する穂庵作品の調査、新聞や公文書などの文献調査、「アイヌ絵」の先行作例や同時代に北海道で活動していた画家たちの作品との比―69―村田梨沙
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