久隅守景筆《舞楽図屏風》の研究ける人材交流の一旦を明らかにすることにもなるだろう。今後の展覧会構想へも繋げていきたい。研究者: 筑波大学大学院人間総合科学研究科博士後期課程本研究の目的は、久隅守景筆《舞楽図屏風》(根津美術館)(以下、守景本)について、画面に描かれた舞楽の様相を手掛かりに制作背景を探り、いまだ不明な点の多い守景の画業の一端を明らかにすることである。具体的には、江戸時代前半期に流布した舞楽図屏風の作例と関連史料から、当該期の武家社会における舞楽の状況と催行の目的の変遷をたどる。その上で、守景の描いた舞楽図が、どの時期の舞楽の状況を絵画化したものであるのかを検討し、それをもとに、守景本の制作年代と背景について提案を試みる。久隅守景(生没年不詳)の活躍期は、これまでの研究により、寛永期(1624-45)から元禄期(1688-1704)にかけての約60年におよぶと推定されている。しかし、作品の制作年代が特定できるものはごくわずかである。一方、近世の舞楽図についての研究は、辻惟雄氏により、中世から近世初期までの舞楽図を包括的にまとめられた論考が基盤となっているが、これまでは狩野派や土佐派の主要な作例、あるいは俵屋宗達筆《舞楽図屏風》(醍醐寺)(以下、宗達本)など、限られた作例の構図や様式についての言及が主であった。近年では、醍醐寺の歴史的背景と宗達本、寛永13年(1636)の徳川家康21回忌法要に際して奉納された《舞楽図屏風》(日光山輪王寺)、久留米藩主有馬則維(1674-1738)の依頼によって制作された英一蝶筆《舞楽図屏風》(メトロポリタン美術館)等、制作背景についても論じられている。これらの作例の制作目的は、所蔵する寺院の法会の絵画化、徳川将軍の権力の象徴、さらに大名の鑑賞のためとされており、そこから舞楽図が武家社会へと広まっていく様子がうかがえる。守景本については、制作年代や背景に踏み込んだ研究はまだみられないが、様々な視点から検討の可能性がある。例を挙げれば、人物の面貌表現は守景作品の特色であることがすでに指摘され、水平に広がる幔幕による安定感のある構図や、楽人と楽器を大きく描き、右隻に1曲のみ配置する描写は、狩野派や宗達の舞楽図とは異なる制―71―古谷美也子
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