鹿島美術研究 年報第36号
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わち、祭壇画の制作者、注文主、構図、描かれている図像の解釈などについて明らかにすることに力点が置かれてきた。その一方で、絵画の周囲に施されていた装飾を含めた、祭壇装飾の全体像に関する問題は等閑に付されてきた感が否めない。このような風潮の大きな理由の一つとして、作品の元々の設置場所であった礼拝堂や祭壇が取り壊されてしまっていたり、後世に激しく改変されていたりして、制作当時の状態を知ることが困難であることが挙げられる。また、古文書資料にも記録が残っていない、あるいは不確かな証言しか見つけることができない、という場合が多い。そのため、非常に研究し難い分野でもある。しかし、祭壇を飾る祭壇画は、基本的に、それを取り巻く装飾を視野に入れてデザインされたはずであり、祭壇装飾の全体像の追究は、制作当時のコンテクストを明らかにする上で非常に重要である。サンタ・マリア・ノヴェッラ教会のラーマ家礼拝堂の祭壇装飾に関する先行研究も、上述の例にもれず、ボッティチェッリの著名な《東方三博士の礼拝》を描いた祭壇画を取り扱った研究に比べ、祭壇画が置かれていたコンテクストに関する研究は圧倒的に少なく、ほとんどなされてきていない。しかしながら、ラーマ家礼拝堂の祭壇装飾は、テンペラで描かれた小振りの板絵の祭壇画に相対的に大きなフレスコ画のルネッタという異種素材の支持体を組み合わせた特徴的な構造をしていたと考えられる。本研究は、主として、このような祭壇装飾の構造、およびそうした構造の成立を促した要因を解明することを目的とする。ラーマ家礼拝堂と同様の、異種素材からなる祭壇装飾の類型を収集し、分析することにより、異種素材を組み合わせた祭壇装飾の成立の背景や、当時の文化的思潮、どのような流行があったのかといった広い視野での問題の検討ができる。また、多様な作例を検討することで、本研究の端緒となる同祭壇装飾の制作当時の形態について、より詳細で信頼性の高い再現が可能になるだろう。本研究は、従来あまり着目されてこなかった、あるいは研究が困難であった領域への一つのアプローチとしても意義がある。さらに、異種素材を組み合わせた祭壇装飾の制作を追究することにより、祭壇装飾を異種素材で作り上げることの意味や、画家・彫刻家・大工等のそれぞれの職人が1400年代後半にどのように連携を取り合っていたのかという問題にも手がかりを与えることが期待される。これらの調査の結果は、祭壇装飾の発展史に新たな知見を提供することができるだろう。―77―

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