鹿島美術研究 年報第36号
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甘粛魏晋十六国墓にみる飛魚・人面魚の研究―『山海経』との関わりを中心に―研究者:二松学舎大学文学部准教授試みに、甘粛河西回廊西端の敦煌の佛爺庿湾晋墓(鄭怡楠2009では十六国墓)の祥瑞図を例にみると、他地域にない特色として、飛魚・人面魚が多く描かれる点、とくに「鯢魚」という傍題をもつ有翼の人面魚(子供の顔)が少なからず描かれる点が注目される。この「鯢」を巡っては、先行研究では概ね『山海経』北山経「人魚」の郭璞注「鯢」を拠とするものの(殷2006、北村2009、関尾2011)、それが「子供の顔」「四条の羽」に描かれる理由については、明らかにされない。さらに関尾(2011)は、敦煌仏教石窟249窟天井画の瑞物のうち「鯢」を、佛爺庿湾のこの「鯢」と同一視するが、249窟の鯢魚は「魚面」に描かれ、その「命名」の由来も示されない。恐らく両者は別物だろう。では、佛爺庿湾にみる「鯢魚」が、「子供の顔・四条の羽」を持つ姿に作られるのはなぜか。注目すべきは、該期の甘粛には仏教のみならず神仙道教も盛行したとされる事、『山海経』の人魚(郭璞注では鯢魚)に「嬰児の声で鳴く」「四足」の要素がある事、である。つまり、「不老・羽化」を理想とする神仙道教の影響下、『山海経』の人魚(鯢)の本来もつ「嬰児の鳴き声」の要素が「児の顔(不老)」に、「四足」の要素が「四条の羽(羽化)」に各々転化したものと考え得る。さらに留意したいのが、『山海経』では西王母の仙境を始め「西北」の方角に古い仙境記述が多いこと、その仙境には「龍魚」「鯪魚」などの飛魚・人面魚が少なからず棲息し、『山海経校注』の袁珂注ではこれらを人魚(鯢)と同一視する点である。佛爺庿湾の人面・有翼の「鯢」は、『山海経』の西北仙境によく産するという飛魚・人面魚の複合体(象徴)でもあったのではないか。他方、『佛爺庿湾西晋画像磚墓』(1998)では、該墓の「飛魚」の傍題を持つ有翼魚の典拠に、『山海経』の有翼の「瑞魚」の他、有翼の「凶魚」をも引き、その吉凶には諸説ある。しかし神仙道教の影響を鑑みれば、これも『山海経』の西北仙境にみる空飛ぶ瑞魚「龍魚(或いは文鰩魚)」である可能性が高く、張掖高台縣魏晋墓の「神人騎魚」も同類であろう。今、郭璞『山海経図讃』「龍魚」が「聖人が乗れば九域を翔る」神仙的飛魚とされ、現存の張駿『山海経図讃』が飛魚のみなのも、甘粛墓葬画像に多く見える飛魚図が当時盛行した神仙道教、及び『山海経』の神仙的受容―78―松浦史子

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